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サントス入港 6年ぶり=海自練習艦「かしま」=埠頭は歓迎ムード=乗員、地元日系人らと交流=艦内を一般公開へ

7月16日(金)

  四月二十日に東京を出航した海上自衛隊練習艦隊(東郷行紀司令官)練習艦「かしま」(林宏之艦長)が十五日、今遠洋航海中八番目の寄港地、サントスに入港した。日本移民ゆかりの土地はこの日、真夏を思わせる陽気。輝く海原を臨む岸壁で待ち受けていたサントス日本人会(遠藤浩会長)の関係者らが、六年ぶりとなる練習艦隊のサントス訪問を盛大に出迎えた。見学に来ていた港湾関係者も「日本の船がこの街らしい天気を運んできてくれた」と笑顔をみせ、第三十埠頭は歓迎ムードに包まれた。「かしま」は十八日まで停泊し、艦内の一般公開も予定されている。

 排水量四〇五〇トン、長さ一四三メートル。「かしま」は、十年前、日立舞鶴で製造された練習艦だ。今航海には、司令部六十人、幹部候補生学校を今春卒業した初級幹部百十四人ら合わせて三百三十四人の自衛官が乗組んでいる。
 岸壁で行なわれた地元日本人会主催の歓迎式には、五十人以上の日系人が集まり、「かしま」乗員約八十人が整列しこれに応じた。東郷司令官、林艦長、初級幹部の代表者には、鮮やかな色の浴衣をまとった日系子女から花束が贈られた。
 その後、日本人会の代表らは艦内の来賓公室に移動。高級ホテルのような落ち着いた雰囲気の部屋で乗員らと歓談した。公室には絵画、置物などが飾られ、備え付けのテレビではNHKも観ることができた。
 東郷司令官は会見で、ブラジルの印象について聞かれ、「やはりサッカーの国ということがまず頭に浮かぶ」と答えた。また、東郷平八郎元帥との血縁関係に触れて、「まったくないです」と笑顔で否定した。
 「かしま」の初めての進水はちょうど十年前。船籍は広島・呉にある。そのため、乗員の出身県は同県が最多で二十六人を数えるほか、九州出身者も多い。
 広報を担当する佐々木一之気象幕僚によると、この航海中、初級幹部は二十四時間体制で実習に当っている。「総官、機関、運用の三グループに分かれ、海上訓練を通じてシーマンシップの育成を目指している」という。また、「訪問国の風土と人々を知り国際的視野を養い、親善を深める」ことも遠洋航海の目的だ。
 最初の寄港地はパールハーバー(アメリカ)で五月初め。サンディエゴ(アメリカ)、バルボア(パナマ)、ポートオブスペイン(トリニダートトバコ)に立ち寄り、六月二十一日から同二十三日まで、レシーフェに停泊した。サントスには、モンテビデオ(ウルグアイ)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)を経て到着。十八日にサントスを発った後、再びレシーフェ、次いでカルタヘナ(コロンビア)、マンサニーヨ(メキシコ)、ホノルル(アメリカ)と訪問し東京には九月十七日、入港予定。「先の寄港地ブエノスアイレスで航海のほぼ半分を終えたことになる」と佐々木幕僚は話す。
 この日、東郷司令官は会見に続き、ブラジル海軍サントス港司令官を表敬した足で、サントス市長主催の歓迎式典に出席した。その後、艦上で行なわれた石田仁宏サンパウロ総領事への栄誉礼に出席するはずだったが、歓迎式典が長引いたため、林艦長が代理応対した。石田総領事は、海上自衛隊旗が揺れる後部艦上に置かれた台に立ち、右手を左胸に当てながら、厳粛な面持ちで音楽隊の勇壮な演奏に聞き入った。
 一九五七年に練習隊群として練習艦隊が発足して以来、毎年行なわれてきた初級幹部対象の遠洋練習航海。その練習艦がサントスに入港するのは今回が九回目。六年ぶりながら、地元メディアの知名度は高く、多数の新聞、テレビが入港の模様から艦内の様子まで熱心に取材していた。
 乗員がテレビのカメラマンに海上自衛隊の記念バッチをプレゼントすると、カメラマンは身に付けていた地元のサッカーチーム「サントス」のバッチで答礼。互いに交換した記念章を胸に飾り、片言の英語で歓談するといった場面も見受けられた。
 艦内の一般公開は十六日午後一時から四時、十七日午後一時から三時半。入場自由、場所は第三十埠頭。
 十六日はまた、文協で東郷司令官を迎えて、サンパウロ日系団体共催の歓迎会がある。