以前、何年前ごろといっていいのか、日本側がつくる、ブラジルやブラジル人に向けて来る広報パンフレットで、ポ語を使用したものは極めて珍しかった。それは、英語であったり、スペイン語であったりした。要するにブラジルは重くみられていなかったのである。もどかしい思いをした▼ポ語との縁が浅いといえば、外国語大学でポルトガル語学科が設けられていても、学生を隔年募集していた時代もあった。〃ポ語屋〃は少しでよかったのか▼七〇年代の初めころ〃ブラジルの奇跡〃がいわれて、日本企業がどっと進出したあたりから、パンフは、英語はもちろん、スペイン語でもなくなり、ポ語が常識になった。日本で印刷され、ブラジルに持ち込まれたのではなく、ブラジルで作成されたものが多かった▼日伯間の経済・技術の交流、協力が細っても、ポ語広報はもう後退しない。最近、海上自衛隊練習艦隊がサントスに寄港して、見学者が訪れた際、『かしま』側はポ語パンフを配布した。日本人高齢者には日本語がよかったが、もちろん、一般ブラジル人を念頭においたもの。キメ細かいサービスというべきだろう▼それにしても皮肉なものだ。日伯関係が熱く、緊密になろうとするころ、ポ語広報はお粗末で、ひと山越した?辺りから正常な姿になっている▼「必要」が、ものごとを進めるが、日本の宗教の進出でもそれがいえた。ブラジル人への布教には不可欠とみて、ポ語のオリエンタソンや解説書の発行が行われたのである。 (神)
04/07/30