加古川の七人殺しには驚く。それも―親戚ばかりを鋭利な包丁で刺し殺すという無残な惨劇である。犯人は「長年の恨みがあった」と語っているそうだが、伯母や親類の人々を次々に襲い新しい洋包丁で腹や胸を貫き通すように刺す凶行に走ったのは何故か。日頃から暴力を振るい刃物を持ち出すのも珍しくない。殺害された親類の藤城利彦さんを昨年は殴り蹴るもしたと近くの人々は証言する▼こうした暴力沙汰を目の前で繰り広げられれば親戚の人々も隣人らも、みんなが「なんとかならないか」と相談し警察にも訴えた。ところがである。警察は「実害がないと手の施しようがない」とし訴えの受け入れを拒否したという。後講釈になるけれども、警察のこの手緩さが、凶悪事件を引き起こした。しかも、警察は住民らが訴えていたことも、初めは否定していたのだが、批判の声の高まりが強くなったからか―認めるという失態も演じている▼北海道に始まり多くの県警では「裏金」とかの不明朗さが露見し大騒ぎになっているが、警察組織の弱点は「庶民の恐怖感」を共有できないことではないか。七人殺人事件は警察のこうした傾向を象徴している。犯行が起きたところの住民たちは「警察がきちんと対処してくれていれば―」と言葉少なく悔やむ▼警察にすれば「そんな細かいことまでやってはいられない」と愚痴るかもしれない。が、すべては捨てられそうな小さな事柄に始まって大きな事件を招くことが多いのである。今回も―そんな誤りを犯したような気がする。 (遯)
04/08/05