8月12日(木)
カンゲイコは始まった。毎年のことであるけれど、生徒たちはその体力と精神力の限界までの練習を強制される。そうすると、身体の痛みに泣いたり、呼吸困難になったり、また、他道場の生徒とうまくいかなくなったりする者が出てくる。心配した寒さはなく、かえって暑く、蚊に刺されてよく眠れぬ者も続出する。とにかく、疲れ切った状況を変えるには、夜のミーティングの時間を楽しくして、生徒たちを笑わせることが一番である。
私は昔、学生(東京農大)のころ覚えた古い唄、時代遅れの唄を大いに唄ってきかせた。生徒たちは喜んで聴いて、一緒に唄ったり踊ったりするのである。例えば――、
♪人に勝つより自分に克てといわれた言葉が身にしみる(姿三四郎)
♪今日も勝たずにおくものか、そら突き飛ばせ、投げとばせ(青山ほとり)
♪長い廊下も血の涙、これが俺等のゆめのあと(数え唄)
♪崩れ落ちたる民屋に今ぞ相見る二将軍(水師営)
等々である。
詩人佐藤紅緑は、青年時代こう書いている。「若き二十の頃なれや、三年が程は通いしも酒唄煙草また女、他に学びし事も無し」―私も農大で唄だけ覚えたので、それがバストスで役に立ったのである。
塩沢氏との出会い。そしてもう一つは、コルンバから生徒を連れて来たサルジェント・アントニオ二段と知り合うことができたのは嬉しいことだった。彼は、ボリビアとの国境の警備隊に勤務しながら、貧しい子供たちに柔道を教えている、といい、隊長ノリアキ・ワダ(和田)大佐の、十二月にコルンバで暑中稽古をお願いしたい、という伝言を持ってきてくれたのである。
私は思わず「エー、本当か?」と聞いてしまった。コルンバ。コルンバこそは、長い間私が行きたいと思っていた所なのである。
昔、パラゴミナス(パラー州)で開拓地の先輩、高梨卓さんに「コルンバに行くと、本当にブラジルに来たという気持ちになれるよ」と言われてから、いつもその名を忘れたことはなかった。私は時代遅れの人間であるから、ロンドンもパリもアテネもあまり知りたいと思わないけれども、これからコルンバとパンタナルに行けると思うと、急に前途に希望が湧いてきた。
世の中、似たような人間がいるもので、同窓の三木路生君(アチバイア)に、そのことを話すと、すぐ興奮してきて「俺も一緒に行っていいだろ。女房と一緒に必ず連れて行ってくれ」と、その場で決められてしまったのには参ってしまった。(つづく)