8月14日(土)
木曜日の夜、バストス入植祭が始まって、道場の前の公園では、ヴォルーミ・マッシモにして、午前二時近くまで、音楽を鳴らしている。とても眠れるものではない。
ちょっと寝て、四時半に生徒たちを起こし、五時から七時まで、最後の練習をさせたけれども、できない者を叩いたり、シンガしたり、愛情のないシゴキになってしまった。
修了式もいつもの感激と喜びはなく、簡単に別れのあいさつをした。コジーニャでランシェをつくってもらい、エスタソン・ロドヴィアリアに向かった。オニブスが来るまで三十分くらいあったので、私は馬掛場さんに文句を言い続けた。「随分やさしくなったものだね。昔のあんたはそうではなかったよ」。彼は、私が、あーだ、こーだ言うのを黙って静かに聞いてくれた。オニブスがエスタソンから離れても、いつまでも手を振っていてくれた。
一人になって、私はただ悲しかった。少しのバグンサをした生徒のために、全部の生徒まで叱ってしまったこと、私を信じて寒稽古をまかせてくれる馬掛場さんと、こういう別れ方をしたこと……、いつもこういうことを繰り返す自分が情けなくてナミダが出そうだった。
オニブスは走り続けて、真っ暗なミナスの山々が見えてくると、急に冷え込んでくる。「♪一つ山越しや他国の星が凍りつくよな国境」(国境の唄)を思い出す。
夜、遅く家に着いた。膝と腰が曲がらず、NHKテレビの映像で視た曽我ひとみさんのご主人のジェンキンスさんのようである。妻は曽我さんのように抱きついては来なかったが、私の好きなおイナリさんをつくって待っていてくれた。
それを食べながら、「こういうことになってしまった」と話すと、「あなたは、いつもそうなのよ。喜んでいると思うと、怒り出すから、私もこどもたちも、どんなにたいへんだったか分かるでしょう」という。本当にその通りだ。
本当にその通りだったなぁ、と思った。深夜、自分の部屋で一人になり、カーマにぶっ倒れて、天井を見ていると、この旅の締めくくりには「風に追われて」がいいな、と思った。「♪風に追われて日暮れの中で、消えてゆくよな、後ろ姿よ、ごめんね、何もかも、うまくゆかなくて、別れが待つだけの二人になったね」。いつしか、泥のように眠ってしまった。(つづく)