東京の真夏日は三十九日も続き都民らは「我慢の夏」とばかり汗を拭きながら頑張っている。あの昭和二十年八月十五日日も厳しい暑さだった。終戦を告げる昭和天皇の詔書が正午からラジオを通じ国民に放送された日である。戦闘帽とモンペ姿の人々は緊張の面持ちでラジオの前に立ち雑音で聞き取り難い「玉音放送」に耳を傾け敗戦を知り滂沱の涙に咽ぶ▼この「玉音放送」にはいくつかの秘話がある。元々―日本の歴史には天皇が国民に向かい直接語りかけるという例はない。このためもあって徹底抗戦を叫ぶ軍部の強硬派などは猛反対した。陛下が秘密裏に吹き込んだレコードを放送の前に奪取しようとして武力の行使も辞さない動きを見せるなど近衛師団や宮内庁周辺には不穏で不気味な空気に包まれていた▼こんな武力派を抑えるため懸命だったのが鈴木貫太郎内閣の迫水久常・書記官長(内閣官房長官)である。鈴木総理は海軍大将で侍従長などを務めた有為の人物として知られる。迫水氏は大蔵官僚だが、岳父は岡田啓介首相という家柄で戦後の政界でも郵政大臣などの重要な役割を果たしている。この世紀のレコードを守るため迫水書記官長は命を張ったの事実を書き残しているし講演会などで市民たちに語ってもいる▼抵抗派の軍人の一部は自決の道を選んだし、軍部をも抑えたあの「玉音放送」ひとつを取ってみても、大東亜戦争がいかに厳しく激しかったかを物語っている。あれから五十九回目の八月十五日は―明日の日曜日である。(遯)
04/08/14