日本祭り(県連主催)が終わったばかりなのに、来年また出品参加したい、いや絶対参加する、と決めた団体がいくつかある。さまざま問題を内包しながら、客を含めた参加側からは輝いて見え、魅力があふれている、不思議なイベントである▼そのわけは、出品側が、自己を表現できて(これぞというものを陳列できて)、しかも評価してもらえる(売れて利益が出る)からだろう。主催者が誰であるのか、分からなくなってしまったような開会式など、とりあえず関心はないのだ。いってみれば「規模大、賑々しいのは〃善〃」である▼少しいじわるな言い方をしよう。祭りの旧称だった「(日本の)郷土」とは直接関係のない?企業の参加を認めない、あるいは「食の広場」では、〃日本食〃に限定する―としたならば、これまでのような集客が可能だろうか。また、企業の参加を主催者が要請しなければ、祭りの開催費用は足りるだろうか。たぶん、拡張されたものは元には戻るまい。戻そうとしたとき、衰退に向かうだろう▼主催者も、現時点で、拡大して派手になった日本祭りを見て、最初期の郷土芸能祭り、郷土食祭りの方が懐かしいとは思っていまい。とにかく赤字を出すまい、規模の大きいことはいいことだ、とばかり、事をすすめてきたのだ▼その成果が、特に新しい参加組にとって魅力的に見えるのだ。今年の隆盛がさらに発展すれば、国籍不明度が強まり、郷土色はいよいよ希薄になりそうだ。どうも、これが勢いである。(神)
04/08/18