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小渕元首相=亡き父の足跡辿る=次女の優子衆議=ブラジルで古里の匂いにふれた=2代目ブラキチになるか

8月25日(水)

 福田赳夫元首相揮毫の「素一心」、同じく中曽根康弘元首相の「青雲万里」。サンパウロ市リベルダーデ区の群馬県人会会館には、同県出身でもある両氏の写真と揮筆が飾られている。両氏と同じ選挙区で、やはり首相だった小渕恵三氏(一九三七─二〇〇〇)の写真と書画もある。六〇年代初めに、かばん一つでふらりとブラジルを旅行。一カ月半~二カ月間、大学(早稲田)の先輩方に宿を借りて移住地などを見て回った。日系人の温かさに触れて、ブラキチになったという。「移民百周年には、総理として式典に出席したい」。生前には、そんな希望も口にしていた。二女の優子衆議がこのほど、米州議会制度の視察団に加わって来伯。父の足跡も辿った。日伯の太いパイプ役になってほしいと、各方面で期待されている。
 「ここは、日本みたい」──。
 優子衆議は二十二日正午すぎ、群馬県人会会館を訪れると、感嘆の声を上げた。前述の三氏の揮毫をはじめ、迦葉山の大天狗の面などがあり、古里のにおいが漂っていた。在りし日の父の姿を忍ぶこともできた。
 「コーヒー園で寝そべったり、日系人にご馳走になった」。ブラジルの思い出を、よく聞かされた。約三十年前の友人が空港まで出迎えにきてくれ、「縁というものは、すばらしい」と実感した。
 政治家を志していた小渕元首相は、早大大学院生時代に世界情勢をみるためアメリカなどを旅行。ブラジルが最後の訪問地だった。大学の先輩に当たる高井義信さん(故人、前田木工所経営)が、部屋を貸すなど世話を焼いた。
 同氏宅には、早大生がちょくちょく集まってきた。妻昭子さんは「代議士の子供とは知りませんでした。多くの学生の一人。気さくな人でした」と懐かしむ。
 稲門会(早大OB会)会長の相田祐弘さんは「彼は、サントスにいた近藤博之さんに政治家になると語ったそうです。近藤さんは『お前が大臣になったら対岸の島を買う』と冷やかしたけど、その話が本当になり『大変なことになった』と漏らしていました」。
 「内閣総辞職。すぐに帰って、立候補せよ」。ブラジル滞在中のある日突然、母から電報が届く。帰国前に、サンパウロ市内のレストランで三田会会長の石井賢治さんと食事をした。帰り際に、ホテル・オットンパレスを見上げて、宣言したという。「いつの日か、ここに泊ってみせますよ」。
 小渕氏は父の跡を継いで、二十六歳で衆議員に当選。総務長官、官房長官などを歴任する。四年後に議員としてブラジルに戻り、石井さんとの約束を果たした。
 九八年の移民九十年周年祭には、外相として来伯。記念式典に出席した。「強行なスケジュールで外務省の誰もが反対したんですが、俺がいくと言って出たんです」と、優子衆議は明かす。さらに、「百周年には、総理で来ると話した」とも。
 優子衆議はこの日、県人会関係者と懇談。JICAのボランティアの活動状況を視察するため、あけぼのホームやブラジル日本語センターを訪れた。「今回の来伯は、百周年へのステップにして、機運を高めていきたい」