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大所高所からの見方を学べ=チェス世界王者来伯=「パウロ・コエーリョは私の導師」=才能は運を超越する

9月1日(水)

 【ヴェージャ誌】チェス(西洋将棋)世界チャンピオンのガリ・カスパロフ氏(写真)が「戦略思考」講演のため来伯した。同氏は東西冷戦の最中に旧ソ連で生まれ、知的優越性をモットーとする権力闘争を見ながら育った。根からの共産主義嫌いで、現在も反主流派として汚職にまみれた独裁政権とは一線を画している。
 次はヴェージャ誌記者が行った同氏との一問一答。
 【なぜチェスを選んだか】誰でも個人的目的があり、その達成手段としてチェスを習得する。それは果てしない能力開発の旅路。中には、ただのひま潰しもいる。チャンピオンを目指す限り、吹けば飛ぶようなチェスの駒に全エネルギーを賭けるべき。しかし息抜きも必要だ。
 【チェスの効能は】一%のプロは別として、チェスは積極思考の開発に役立つ。日常生活の中で集中力や規律性が養われ、論理の追求や想像力が旺盛になる。ブラジルでもチェス教室に通う子供は算数と作文に優れ、責任感に満ちている。
 【チェスと責任感の関係は】「不祥事は関わった全員の団体責任」が今日の常識。チェスでは間違った場所に駒を差した場合、責任者は誰でもない自分だ。これは人生でも同じで、一切のいい訳は通用しない。チェスも同じ。自分の敗北を指導者やチーム、運などに責任転嫁は許されない。サッカーは異なる。チームの調子が良くて、ロナウジーニョも好調で観衆も味方ならば、ポンポンと得点が入る団体競技だ。しかし、チェスは個人競技で、始めから終わりまで孤独。敗北とは、自分自身の敗北であり自己否定でもある。
 【チェスとサッカーの関係は】ブラジルのサッカーは、国を挙げて喜び泣く。ロシアのチェスはイデオロギーの道具であって、感激も悲しみもない。世界チャンピオンの栄冠獲得は、西洋思想に対するロシア・イデオロギーの優位性を誇示するのが目的だ。ロシアは、スポーツ奨励で予算の計上はしない。一人の優秀な選手に、資金をつぎ込みショーウインドーに並べるのだ。私もそこへ並べられた運の良い一人ということになる。
 【運についての見方は】トップを目指すなら、運を当てにしてはならない。人には生まれつきの才能があり磨きをかければ、運を超越できる。才能の開花を一生、知らずに終わる人も多い。自分の才能が分からないときは、運が必要になる。それについては、パウロ・コエーリョの哲学がよい指導書といえる。
 【パウロ・コエーリョを推薦する理由は】同氏は私の錬金術の導師で、彼の言葉は座右の銘だ。同書は第六感が決断の要因という。チェスも同じことがいえる。全て割り切れるわけではなく、予感に頼る部分もある。チェスは理屈をいうなら、結論がない。可能性が無数にあり、手段の選択には第六感が必要になる。
 【人間とコンピューターを比較したら】コンピューターが優れる部分は心理面。精神情緒は安定し感情に走らない。人間が優れる部分は融通性だけ。コンピューターにチェスをやらせると、設定した戦略だけしか応用できないが、人間は違う。人間は戦略の変更や無限の変化が可能だ。
 【年齢は関係あるか】年を取るに従い、気力や集中力が衰える。青年時代のチェスに賭けた貪欲な活力や闘争力も衰える。だんだんと自分の中で、チェスがスポーツ化する。かつてチェスは、スポーツより厳しいものだった。チェスは、心理戦争で相手を精神的に屈服させるか、されるかの戦いだった。将棋盤という戦場の上に注げるエネルギーの量が、勝敗の決め手であった。それが年とともに衰えるのだ。
 【チェスは素質が必要か】基礎までは誰でも、興味があればできる。それを乗り越えて、高段者戦となるには素質が必要。チェス教室を開いたり、大会で勝敗を競う分には特別に素質は必要ない。
 【チェス戦略と商業戦略の関係は】能率向上や生産強化には役立つ。講演で世界中で訴えて回るのだが、管理職は下らないことに時間を浪費し過ぎる。チェスは、大所高所からものを見る習慣を会得させる。それができると戦略が自ずと見える。しかし、このコツを理解できる人はわずかだ。
 【コツを会得した人にアドバイスは】人材を駒とするなら、一人一人のプロとしての長短を見極める。ライバルについても同じ作業をする。そうすれば取引に有利な環境が整い、自分の方が優位に立ち回れる。後はチェスの基本と同じでライバル社の内容、経営スタイル、過去の取引手法をチェックする。最後の難題は従来の経営法が普遍ではないことを悟り、次の戦略法を編み出すこと。一度成功すると永久に通用すると思い、変革が迫られているのを理解できないのが残念。