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人生の幕引の前に=日本政府に向け真情を吐露した米国在住老人=(3)=なぜ許可をする=日本赤軍の子の入国

9月1日(水)

 私はこの様な金田氏の声を初めて聞いたので、胸の内で感激の波が起きていた。
 金田氏は自分の最後の旅をするにあたり、私を誘ったのは、自分の言葉を私に聞いてもらいたいと考え、そしてその言葉を残そうと思っているのだと感じ、私はその事を心に感じると、なんだか彼の長い人生の物語を全て聞きたいと思う様になつた。
 金田氏は食事も済み、気分的にも飛行機の快適さに満足してか、軽く目を閉じ、ゆったりとイスにもたれていたが、また言葉を探して話し始めた。
 「私達、海外日系人は、長きにわたり選挙権はなく、やっと最近投票が出来る様になりましたが、比例代表のみの選挙で、自分達の代議士を国会に送る事も出来ず、まして、日本の人口の数にも入らない人達の声は無視されて、代議士達も力を貸そうとしません。
 しかし、日本赤軍の最高幹部で被告人席に座る人物の子供は、父親は外国人で、しかも被告の次ぎの身代わりとして、獄中の代弁者として、レバノンの大学で政治学の理論的武装もした者を、日本政府は人権の名のもとに、安易にも、日本の国益をも考えずに、また北朝鮮からも日本赤軍の幹部の子供を日本人として、入国の許可を出しています。
 彼等は武装闘争を持って、民主主義の日本の政治を破壊しようとした者達です、そして幾多の事件を起こして、日本の威信を傷つけ、身代金として、日本の血税を多額のドルとして奪い、その金を資金として、事件を起こし、日本の司法の下で罪の償いの為に拘束された者まで、暴力で奪い取る活動をした者達を、日本政府は日本国民がどの様に考えるかも顧慮せず、外国の人々がどのような目で見ているかも考えずに、彼等の次ぎの世代の代弁者として、日本人として認めて、日本入国を許す。
 役人の矛盾に満ちた、愚劣な国籍法――!
 真の日本人として、戦後沖縄復興の為に奉仕活動と、募金により、輸送船一隻の、種豚を沖縄県人に送り、それが幾年もせずに、戦争で廃墟と化した沖縄の養豚業を、戦前以上に復興させた人々や、戦後の日本を担うのは子供達と、強制収容所から出て、貧しい生活の中から、学校給食に、ハムの一切れ、パンの一個、粉ミルク一杯を、募金して送った人達を思い起しても見ない日本政府を、そして、今の五十歳から、六十歳の日本人の血の一滴、身の一片がその様な人々により送られた物である事を思い起こして、真の国籍法とは何かと言う事を考えなければなりません。
 大和魂を持ち、真の日本人として生きる人が、帰化しても日本人の心は奪えないし、消えません。犯罪者が優遇される矛盾を早く直さないと、ほんの僅かしか生き残っていない日系人達は、誓願の願いを持って大使館に訪れても、日本の国籍法に有りますからと、石でもって追い払う様に、防弾ガラスの内に座り、誓願の願いを握り潰して、通常の業務に差し支える、との一言で追い払う様な仕打ちを受けながら、これまで沢山の願空しく遠い異国の地に亡くなられた方達の事を思うと、悲しくなりますよ!」。
 金田氏は、そこまで一気に話すと、心のわだかまりが取れたのか、涙をぬぐおうともせず、目をつぶりシートに身を沈めていたが、暫らくすると眠りに誘われたのか、微かに寝息が聞こえてきた。
 乗務員が彼に毛布を掛けてくれたので、私もそれを見て眠気がして来た。どのくらい寝入ったか知らなかったが、目を覚ますとスチユワデスが、お絞りのタオルを配っている時であつた。その後、食事が出て、食後のお茶を済ませ、窓を見ると良く晴れた空の輝きが見えた。(つづく)