9月11日(土)
[ロンドリーナ]一九三三年来伯の子供移民、浅岡源二さん(八六、山口県出身)が、定年の六十五歳になってから制作し始めた絵画と写真の初めての個展を、さきごろ、ロンドリーナ市のイタウ銀行中央支店サロンで開催した。非常にうけた。浅岡さんは、イナウグラソン当日から十九日目の去る六日、死去した。膵臓がんだった。家族は、知っていたのだが、本人に告知していなかった。ただ、浅岡さんの〃夢〃をかなえるべく、尽くしたのだった。
浅岡さんは、十五歳のとき、家族とともに渡伯した。苛酷な労働に明け暮れた。そのなかで、一つの夢を追い続けた。大好きな写真と絵画をやることだった。
十八歳で、親の反対を押し切って、なけなしのカネをはたいてカメラを買った。しかし、現実はきびしく、日々の生活に追われるいっぽうで、撮影に没頭するなど、とてもできないことだった。
成人し、家族の大黒柱として商業に励んだ。けっして順風ではなかった。火事で店が焼けたこともあった。
六十五歳を迎え、一線から引退。ようやく、油絵と写真に取り組める念願の時間を得た。写真の被写体には、一年を通して色とりどりに力強く可憐に咲く花を選んだ。「日常のなかで非日常を撮る」。いつもこう語っていた。今回の個展では二十点を厳選し、公開した。
絵は、道具を携えて、パラナ州内を歩き、日本の郷里や富士山にも足を伸ばした。地元はじめ、イグアスーの滝、ジャタイジーニョ、マリンガー、ヴィラ・ヴェーリャ、アサイ、パラナグア、思いの丈を描いた。今回の展示は、ローランジアの州移民センターにある「移民の像」ほか十二点。百五十点以上のなかから選んだものだった。
浅岡さんは、作品を「わたしのこどもたち」と呼んだ。合同の展覧会に出品したことはあったが、個展は今度が初めてだった。悲願は、家族を通じて、「ミキ三世グループ」と「パラナ新聞」の後援で実現した。
去る八月十八日午前九時、イタウ銀行支店長の祝辞のあと、孫たちが花束を贈った。浅岡さんは、四月の検診のあとは、自宅で療養していた。病み上がりのように見えた。「個展開催は、言葉では言い表せない感動。家族、協力者、そして、きょうここに来ていただいたみなさまに心からお礼を」。言葉少なめにこう述べた。
会場に五十人も集まってくれればいい、と考えていたようだ。それが三百人も。
朝のカフェが用意され、出席者みんなとあいさつを交わした。自慢のカメラで撮った数々の写真をていねいに切り、しおりを作った。それを記念品として全員に手渡した。一つひとつに、「愛」「友情」「希望」「平和」「夢」「命」と直筆で書いていた。(中川芳則通信員)