無政府主義者の難波大助が裕仁親王を狙撃するという「虎ノ門事件」で山本権兵衛内閣は総辞職したが、警備不足の責任をとって警視庁の警察部長だった正力松太郎も辞任する。のちに読売新聞社長になり野球の「読売巨人軍」を創設したことで知られる正力松太郎は「不老」の文字を彫った石碑を玄関の前に飾って
自慢していた▼サンパウロ新聞の内山勝男編集主幹は「老い」を忘れた人である。自由移民として30年にブラジルへ。32年に「サンパウロ州新報」に入社するが、香山六郎・社長と「石女論争」で退社し「日伯新聞」に移り三浦鑿・社長の人柄を語り懐かしむ。某有力者の妻が浮気をし若い愛人との裏話を面白おかしく話しては若い者を喜ばせる。邦人社会の実力者である勇者の飲酒癖披露も楽しい。そんなコロニアの語り部である▼原稿は万年筆で書く。六〇年代には茶色のシェーファー太字だったが、晩年は丸善を使っているとコラムの「余白」に記している。あそこの原稿用紙はとても使いよくてあの升目を埋める編集主幹の字は太くてわかりやすくとてもいい。あのインクが滲んだ原稿で世の非を叩き、褒めるときは徹底的に持ち上げる厳しくも微笑ましい人なのである▼ご尊父は確か陸軍中将の軍人一家に育つ。ブラジルに行くと告げるとご尊父は英国のポンド金貨をいっぱい渡したそうだが、この軍資金はルーレットですってんてんになったと愉快に笑う。70年近い邦字紙記者の生涯現役は大記録。最期は「100年祭を書かなくては―」と呟き息を止める。亨年九十四歳。合掌。(遯)
04/09/11