テロ予備軍はどこでも存在=貧困とは無関係=うっ積した感情の解放求む=資金あれば武器入手は容易
9月22日(水)
【フォーリャ・デ・サンパウロ紙二十二日他】歴史学者でカンシル国際戦略研究所の主任研究員を務めるワウテル・ラケウル氏は、テロとはテレビ報道のような過激主義者や貧窮の極限に追い詰められた人達ではなく、主張や思想を無視された人たちが参加することだとして、次の論文をフォーリャ紙に寄稿した。
リオの米総領事館とボストン銀行リオ支店の爆破テロが未然に発覚し、ブラジルを含め世界の至る所にテロ予備軍の存在が確認された。テロリストらはリオ・バスターミナルのトイレを連絡拠点にしていた。トイレから写真やメモ、決行後の逃走経路を明記した書類が押収された。テロリストとは何時どこから襲ってくるか分からない人間だ。
平穏だった国でも、無視されて全く顧みられず、意志表示の機会もない保守的な政治体制の国では、感情をうっ積させた階層が過激な行動に走り暴発する可能性を秘めている。彼らは長い歴史の中で、文化的、精神的に圧迫された人たちだ。
テロを貧困と結びつけるのは軽率だ。テロリストが生まれる土壌は、国の将来に不安と不満を抱く発展途上国の人達にあり、極貧国で飢餓線上にある人達は食うのが精一杯で、テロなど考える余裕はない。
フロイトが人間の凶暴性は理性でコントロールできるといったが、政治的、経済的理由に基づかないテロには通用しない。テロには思い込みや狂信的部分もある。前例を引くなら、ナチスが誕生した当時のドイツがそれだった。ドイツ国民は連合国の圧力に対して、民族の誇りの回復を切望していた。そこに無名のヒトラーが瞬く間に権力を獲得できる環境があった。
テロ志願者のほとんどは原理主義者ではない。テロ即ち狂信者も間違いだ。宗教に帰依する百人の信者のうち、テロに走るのは一人か二人。彼らがテロに走る理由は精神的なもので、長年の欲求不満がそうさせる。原因は貧困ではなく、炎と燃える薪のようなもの。
貧乏国に暴力はつきものだが、テロはそうではない。貧乏人の方が切実な問題を背負っており、テロリストは余裕がある。ビン・ラディンからみると、欧米の宗教は堕落し、宗教とは名ばかりの形骸のようだ。いわばビン・ラディンにとって、タリバンの活動はテロではなく宗教改革の運動らしい。
イスラム圏の移民が欧米社会へ流入し、自国の文化を移植するのも問題の芽といえそうだ。一世は言語の壁があって、自己主張はしない。二世は意志表示が流暢で経済的にも遜色がないが、文化的、精神的に一世の影を引きずっている。全員ではないが、まだ二世は完全に移住先国に溶け込んではいない。
欧米社会ではイスラム系移民と地域社会の間に、将来に摩擦の原因となる壁が歴然とある。地域社会は壁に無関心だが、移民には常に怨恨の根が培養されている。この中から血気旺盛な不満分子が出ると、テロには格好の中継地となる。不満を抱く若者たちが、イスラム義勇兵として武装勢力に合流するのは異様な光景だ。
これからのテロリストは、イスラム教徒である必要はない。社会から白眼視される犯罪者や疎外者でもよい。武器を入手する資金を捻出できれば、メンバーは五人でもよい。これだけの条件を満たせる環境は、世界中どこにもある。山火事を起こすには、マッチ一本あればよい。
原理主義者は、イスラム教の改革を叫ぶ。改革が必要なのはイスラム教だけではない。どの宗教も改革は訴えるが、線香花火のように長続きしない。宗教が文明の衝突を引き起こすとは思えない。