9月24日(金)
さきに訪伯した首相は、二度〃感涙〃した。最初は文協講堂での日系人へのあいさつで、移民の労苦に思いをはせて、二度目は同行記者団に日系人の歓迎を振り返ったとき。日本の各紙は、この感涙をどう伝えたか。「人間味があふれているからだ」「情緒が不安定なのではないか」など、見方が分かれたようだ。以下は沖縄タイムスの報道から。
細田博之官房長官のコメント。「悔し涙とか議論に打ち負かされて涙を流すことは、政治家としては絶対にあってはならないが、人の悲しみ、苦しみに感動して思わず流す涙は、たいへん人間味にあふれたことで、決して批判にはあたらない」。
首相周辺も「首相は冷血ともいわれるが、庶民と同じ血が流れていると好感される。マイナスイメージにはならないし、支持率もあがる」と読む。
皮肉な見方の一例――〇二年一月、アフガニスタン復興支援会議へのNGOの参加拒否問題をめぐり、当時の田中真紀子外相と外務事務次官が対立。記者団に涙を見せた田中氏を首相は「涙は女性の最大の武器。泣かれると男は太刀打ちできない」とちゃかしたが、今回は涙を「男の武器」に転化する思惑が込められていたのか。
そして批判。
――だが、欧米では、一国のリーダーが公衆の面前で泣くことは「感情を抑えきれない不適格者」との見方が少なくない。
ブッシュ大統領も米中枢同時テロ直後の記者会見などで、うっすら涙を浮かべたが、首相のように激しくない。首相の場合、サンパウロで動物病院を経営する従兄弟と十二年ぶりに再会して「個人的な思いも重なったのだろう」(官邸筋)との分析もあるが、自民党内からは「一国のトップが感情の起伏を見せるのはいかがなものか」「情緒が不安定になっているのかもしれない」などの声が上がっている。