タイムトンネルを後方に戻って、古き良き時代の日本に戻ったような話――。北パラナのローランジアに、ほかの移民関連施設と同様建設された「パラナ州開拓神社」が、さきごろ農家に対して「お願い」を出した▼春先に庭の片隅に、あるいはパストのセルカの邪魔にならないよう、パラナ松の種子を二、三粒播いてほしい、というのだ。神社を二十年ごとにパラナ松材を使用して補修したり、造りかえていきたい、というのがその理由▼今、播いたのでは初めの二十年目には(生長の関係から)間に合わない、四十年目頃から使えるのができてくるだろうと見通す。応じる農家があれば、神社の遠大な補修計画は軌道に乗るだろう▼現実的にいえば、実際にパラナ松の播種、世話を継続して行うのは、二世以後の世代である。神社の建設者たちが描いた姿は「神社は、村の氏神様的な存在」「移民および子孫の精神的なよりどころ」であった▼二世、三世たちが、たゆまず種子を播いていくということは、すなわち、創設者たちの意向がくみ取られたことを意味する。神社は朽ちずに、補修はセメントでなく、芳香の満ち満ちた材木で続けられるわけだ▼「お願い」の末尾の言葉。「われわれの神社は、われわれの手によって植えられた木で永遠に建て替え、二十年ごとに神様に、新しい神社へ入っていただくよう続けていきたいものです」。今度の「お願い」に対して、どのくらい子孫たちの協力が得られるか、非常に興味がある。(神)
04/09/24