9月25日(土)
日本移民の生活を詠むための季語を残したい──。俳句誌「朝蔭」の主宰者、佐藤牛童子(さとうぎゅうどうし)さん(86、新潟県出身)が現在、『ブラジル歳時記』(日毎叢書)を編纂している。動植物や年中行事などを中心に幅広く季語を取り上げ、千ページを超える労作になる予定。過去に数冊の歳時記が、コロニアで出版された。これほどのボリュームを持ったものは、初めて。日本からの関心も高いという。
数々の鳥のさえずりや、咲き誇るパイネイラやイッペーの木々。農作業の手を休めて周囲を見回すと、そこにはブラジルの雄大な自然が広がっていた。
花鳥諷詠の俳人、牛童子さんの原風景だ。高浜虚子の門下、佐藤念腹の弟。一九二七年、九歳の時に、兄とともに移住し第二アリアンサ移住地(ミランドポリス市)に入った。
コロノの辛酸は舐めなかったが、原始林を開拓した。「まだ、子供だったのでファゼンダを走り回って遊びました。絵を書くのが好きでした」。
念腹とは、二十歳年が離れていた。学問を優先させ仕事には出ないでよい、と励ましてくれた。重労働に汗を流す家族の姿をみて、マッシャードを握らざるを得なかった。
〈畑打って俳諧国を拓くべし〉
虚子の餞の句を生涯忘れずに、念腹は後進の指導に全身全霊を注いだ。牛童子さんは幼いころから兄の姿を間近にみて育ち、十代の半ばには作句するようになった。
三七年にサンパウロに出た後、一時俳句とは遠ざかった。パウリスタ俳壇の選者になるなど兄の活躍ぶりに刺激を受けて、再び俳句の世界に戻ってきた。
「時代に即して、新しい季題を開発していかなければならない」
牛童子さんは、『ブラジル歳時記』の編纂に使命感に燃やす。「移民は、ここに根を張って生活してきました。周りの自然や生き物に愛情を寄せ、共に強く生きていってほしい」。千ページを超える作品には、そんな思いが込められている。
一つ一つの季語をより掘り下げて説明。例句もふんだんに取り入れていくつもりだ。「亡き兄に捧げる一作にしたい」。
出版時期はまだはっきりしていないが、来年中の予定。