9月29日(水)
【ヴェージャ誌】人類学者のロベルト・ダマッタ氏(写真)は米ノートルダム大学教授を定年退職し、ブラジルへ帰国した。ブラジルと米国は、出発点は共通だが到着点は全く異なったという。ブラジル社会は、親族や派閥を基本とした人間関係のしがらみで成り立つと結論。その見解に立ち、PT政権を分析した。
以下は同氏との一問一答
【ブラジルとは】ブラジルは、PTという異なる二つの顔を持つ政権が政治を執る国。一つは財政政策で自由主義を掲げた国、もう一つは専横的な国。政府はこの二つを使い分けている。自由主義な面では国家財政を固めた。専横的な面は、過去の遺物である六〇年代の社会主義思想を、労組を通じて復活させようとしていることだ。
【過去の遺物とは】二十一世紀の今日にヴァルガス時代を再現しようという試み。ブラジルの経済や社会福祉が公社によって運営された時代のやり方だ。ヴァルガス主義で見るなら、PTは個人への配慮に欠ける。PTの思想は個人の存在を無視し、階級社会の個として捉えている。
【例えば、どんなことか】階級社会における個の力とは組織力をいう。これは時代を逆戻りする考えだ。肉体を持った人間が共同生活する中で、PTは集団の一員としての人間しか見ない。人間の社会生活で最小単位を、労組や企業連盟、社会団体のような集合体としか捉えていない。
その集合体の中には、MST(農地占拠運動)も含まれる。この思想は二つの点で危険だ。一つは時代遅れ。ヴァルガスが経済的に行き詰まったのはそのため。もう一つは、個人が集団に服すことを強いる。集団は数の暴力へ走って、常軌を逸することがある。
PTの理想に反し、個人は本能的にいかなる組織にも属すことを欲しない。個人は自分の好みに従って学び、働き、成長して自分の収穫を得たいのだ。個人は自分自身に投資して、成功を求める。自分の努力を労組理事長の功績に、自分の研究結果を会社に捧げようとは思っていない。ここにPTは気づいていない。
【二つの顔は永続するか】二つの顔はいつも争い、一方が他方を下してきた。結局は、その折衷が勝利を収める。別の言い方をすれば、反対派が時満ちて、何らかの方法で意を遂げる。外国の例でいうなら、日本、中国、現在のチリがそれ。
【中国方式を取り入れる案は】両国は条件が違い過ぎる。ブラジルが自由を旗印とする伝統は米国型、建国の精神はフランス型。
【PTは官僚的というのは】PTだけに伝統的官僚主義の責任を負わせることはできない。ブラジルは植民地時代、全官僚をコインブラ法科大に学ばせた。官僚たちはポルトガルの方角を向き、現在も変わっていない。従来問題が起きる度に法律を作って解決した。そのため、また金持ちの子弟と奴隷の子供が一緒に遊んで育ったことから、スペイン語圏のような流血を伴う政変がない。軍政のときでさえ司法解決をした。これが良くて悪い面といえる。
【ブラジルの政治は独裁向きか】ブラジルの政治は有力政治家でまとまるが、民主的な国民代表では治まらない。建国以来、部族政治の傾向がある。有力政治家が法律を無視し、法律の上に君臨する姿勢は現在も変わらない。
【ブラジルの過ちは教育の軽視というが】共和制の立役者らは、平等な社会と自由を夢見たが、一般国民の教育は全く考えてなかった。大学は金持ちの子弟が行く所という概念は長い間の定説であり、民衆も平等に教育を受けるという概念は全くなかった。
【ブラジル社会の特徴は】たくさんあるがその一つは、登記所でサインの確認がないと何一つ手続きができないこと。一枚の証明書を取得するために、一日行列に並ぶ。ブラジルで行列の歴史は、帝政時代からある。登記所では子供が権限を盾に、書類申請者に対し横柄だ。大切な手続きのために官庁の未熟な官僚に低頭する。こんなことが政府内の至る所で行われている。