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和麺=日本起源のブラジル文化になるか(7)=沖縄そば〃地位確立〃 カンポ・グランデ「最初恥ずかしかった」

9月29日(水)

 南マット・グロッソ州カンポ・グランデ市で毎週夜通し開かれるフェイラ――。目を引くのは、なんといってもSOBA。それぞれの店のメニューにはYAKISOBA,YAKIMESHIなどと並んでSOBAの文字が大きく書かれている。
 焼きそばと同等もしくはそれ以上に日系人も非日系人もSOBAを頬張っている。ここではSOBAが大衆食としての地位を確立しているのだ。
 「そば」と言ってもいわゆる生蕎麦ではなく、沖縄そば。カンポ・グランデは「日系人の歴史の九五%は沖縄県人のもの」と言われるほど沖縄系移民が多い町だ。小麦粉で作った麺と豚をベースにしただし汁の上に卵焼き、葱、牛肉がのっている。好みですりおろした生姜と醤油をかけて食べる。
 本来は牛肉でなく豚肉をのせるそうだが、ここではエスペチーニョをのせていた。
 フェイラで最初にソバを始めたのは勝連ひろしさん(77)。一九六六年頃、自家製の野菜を売りにくる日本人移民を対象に、ソバを売り出した。フェイジョンとご飯、卵が主だった当時の食卓で、勝連さんのソバは沖縄県人の郷愁を誘うものだったに違いない。
 日本人が集団で箸を使って麺をすする姿は大変目立ったため、カーテンで幕を張り、その中でソバを提供した。「戦後、日本人の家が焼き討ちされるなど差別・偏見のあった時代。箸を人前で使うのは恥ずかしかったんだよね」。一九六六年に来伯した須藤英二さん(64)は当時を振り返る。
 野菜売りを手伝っていたブラジル人が物珍しさにカーテンの中でソバを食べたことから非日系人にも広まりだし、ソバは今やこの町ですっかり〃市民権〃を得てしまった。毎週定期的に開催されるフェイラは絶好の普及の場だったといえる。
 ソバがうどん・蕎麦と大きく異なるのは、肉を多用している点だ。うどん・蕎麦は鰹節など魚だけでだしをとるが、ソバはだしをとるのにも、上に乗せる具にも豚肉を使う。牛肉を乗せているものは、変則的ではあるが、ブラジル人にとってはかえって身近かもしれない。
 「食べ方はめちゃくちゃだけどね」と須藤さん。確かに、醤油と生姜をこれでもかというほどかける。スパゲティのようにフォークに麺を巻き付けて口に運ぶ。器に口をつける人も少なく、つゆは残すか、スプーンですくって飲む程度だ。日本人から見れば信じられないような食べ方だが、皆満足げに平らげている。
 須藤さんは、以前日本で沖縄そばを食べた時、フェイラのソバとのあまりの違いに驚いたという。カンポ・グランデのソバも様々な変遷をとげて今に至っている。「沖縄そば」を起源とした新たなブラジル文化としての「SOBA」が生まれ、根付いているのだ。
 ブラジルのうどん・蕎麦は日本文化からブラジル文化への過渡期にある。日本のラーメンを懐かしむデカセギ帰りのブラジル人が徐々に増えているように、今後、うどん・蕎麦の普及を後押しする波が突然押し寄せるかもしれない。
 「UDON・SOBA」はこれから非日系人にも広く知られる言葉になっていくだろう。 おわり (大国美加記者)

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