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サンパウロ靖国講50周年=―靖国神社から湯沢宮司ら迎えて―=戦没者の冥福祈る=松原講元「賛同者に支えられて今日まで続けられた」

10月5日(火)

 サンパウロ靖国講(松原寿一講元)の五十周年慰霊祭典が三日午前十時から、サンパウロ市リベルダーデ区の文協ビル貴賓室で営まれた。太平洋戦争で戦死した旧日本軍将兵の遺族ら約二百人が参列、戦没者の冥福を祈った。昼食後の演芸の部では「愛国の花」や「同期の桜」を斉唱、今は亡き〃戦友〃を偲んだ。靖国神社から湯澤貞前宮司と樋口宜徳課長が慶祝のため、来伯。靖国講のさらなる飛躍に期待をかけた。
 儀式は齋主の上妻博彦さん(鹿児島県出身、70)が主、樋口課長が禰宜を務めて進行した。上妻さんが祝詞、松原講元と湯澤前宮司が祭文を奏上。両者をはじめ遺族や旧陸海空軍関係者、ブラジル日本会議の代表者らが玉串を拝礼した。
 この後、参列者は神酒をいただき万歳三唱を唱えた。サンパウロ靖国講の発展に長年貢献した松原講元に、湯澤宮司から感謝状が手渡された。
 挨拶に立った松原講元は「戦後ブラジルでも戦没者を供養しようと、始まったのがこのサンパウロ靖国講です。多くの賛同者に支えられて、今日まで続けることが出来た」と、半世紀の重みを噛み締めた。
 湯澤宮司は十六年振り二度目の来伯になる。靖国講の慰霊祭に参列したのは、今回が初めて。「かくも盛大に、式が営まれたことに感激しています。日本で靖国神社を取り巻く現状は厳しい。今後も靖国講を盛り上げていって欲しい」と祝辞を述べた。
 遺族代表の和田宗之さん(愛媛県出身、69)は「偶然にも父と岳父が共に、昭和十九年五月にニューギニアで戦死しました。高校卒業後、上京して働きましたが、ことあるごとに靖国神社に参拝していました。父の墓は松山にありますが、そこにいくより靖国の方が親しみを感じます」と話した。
 脇田勅さん(福岡県出身、76)は昭和十九年六月一日、十五歳の時、第十四期甲種飛行予科練習生として松山海軍航空隊に入隊した。戦後五十九年、渡伯五十年になるが、体には予科練が生き続けているという。
 旧陸海空軍将兵を代表して「死んだら、靖国で会おうというのが戦友との合言葉だった」などと語り、会場の涙を誘っていた。
 このほか、松柏学園の生徒三人が作文を披露して恒久平和や靖国神社の存続を願った。最後に、靖国神社やサンパウロ靖国講を紹介するビデオが放映された。演芸の部では、詩吟や詩舞、歌謡曲、軍歌などで盛り上がった。