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移民のふるさと巡り=赤道の4都市へ(4)=教育熱心、アマゾンの日本人=子弟の80~90%が大学出

10月6日(水)

 十七日午前二時四十五分、部屋にモーニングコールが鳴り響く。荷物をまとめて三時にチェックアウト。予定通り、四時にバスはホテルを出発した。ほとんど対向車のない、さびしい夜道を二台のバスがひた走る。
 ブラジルの旅行社主催のツアーに色々参加した経験があるベロ・オリゾンテ在住の赤木文雄さんは、「ブラジル人のツアーだと予定より三十分遅れとかしょっちゅう。日本人は、やっぱり時間に正確だ」と感心した様子。
 「今朝も午前三時半集合というから、一番乗りだなと思って三時に行ったら、もうだいぶ人がいたから驚いたよ」。ちなみに一番乗りはグァタパラの上原夫妻で、なんと二時十五分には集合場所にいた。〃日本人の鑑〃か。
 五時四十五分、真っ暗ななか、ベレンへ向けて飛行機が離陸。百三人乗りだが九十一人は日本人で、ほぼ貸し切り状態。窓から夜明けの爆発的な太陽光が射し込みはじめる。ジリジリ。今日も暑くなりそうだ。
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 六時半にベレン空港着。アマゾン・トラベル(北島義弘社長)のガイド、下小園昭仁さんはさっそく「この町は樹齢二百二十年を超えるマンゴーの樹が約六千本もある、マンゴー並木の町です」と紹介を始める。
 今回のふるさと巡りは、アマゾン移民七十五周年を記念して計画された。ベレンでは、七十五周年を盛大に祝う日本週間が十一日から十八日まで開催されており、いわば旅のハイライトの一つだ。
 数州にまたがるアマゾン地域には、約一万五千人の日系人がおり、サンパウロ、パラナに次ぐ日系社会を形成。その八割がパラー州に集中している。
 まずは、ベレンの守護神、聖母マリア像を祀ったナザレ教会で旅の安全祈願。平和劇場を通って、午前九時に要塞へ到着。展示室は十時開場と門番に断られ、一同しかたなく外周を散策し、州立の民芸品貴金属センターを視察。朝が早かったせいか、一同空腹感にさいなまれる。
 午前十一時には、大改装されたばかりの埠頭倉庫群「Estacao dos Docas」の日本食レストラン「波止場」で昼食。カリカリした蟹の手のフライと、舌にとろける豚のコステラが美味。クプアスー味のタピオカも独特の味わいがある。一同、すごい勢いで平らげる。
 「困ったモンだ。身重になっちゃった~」と冗談を言って笑いながら、ご婦人たちが満悦の表情でバスへ乗り込んでくる。
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 午後二時半、汎アマゾニア日伯協会(小野重善会長)へ表敬訪問した。
 ベレンには文化・教育・スポーツ部門を担当する同日伯協会、医療・福祉部門を担当するアマゾニア日伯援護協会(総合病院、厚生ホームなどを経営)、日系企業や日本進出企業関係のパラー日系商工会議所、アマゾンカントリークラブなどがある。総領事館も所在するが、JICAはベレン支所を閉鎖し、連絡事務所にすると発表している。
 堤剛太事務局長から、「暑いですから、息をするのも歩くのも、ゆっくりどうぞ」と言われ一同笑いの渦に。真顔で冗談を連発する堤事務局長の〃一人漫談〃に、最後まで一同は揺さぶられっぱなしだった。
 小野会長、山内アレシャンドレ副会長、キシ・ヒトシ会計理事、長島ジューリア理事らに出迎えられる。
 親が高拓生で、八歳で博多から移住した小野会長は「アマゾンの日系人の八〇~九〇%は大学を出ている。子弟教育のために親は田舎で一生懸命に農業に精を出した」と述べた。
 「我々は日系人ではなく『アマゾンに生まれた日本人』だと思っている。僕も日本国籍を持っている。〃日本人〃という誇りを持ってここまでやってきた」と強調した。
 県連の南雲団長は「海のような、肝を潰す大きさのアマゾン川を見た。このような地域で頑張っておられる皆さんの、今後ますますの発展を祈念します」との言葉を贈った。
 活発な質疑の後、神内講堂などを見学。外へ出ると、待っていたかのようにポツポツと雨が降ってきた。   つづく
    (深沢正雪記者)

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