10月12日(火)
文協が主催する美術の公募展「サロン文協」が今年休止となった。代わりに、その三十三年の歩みを振り返る展覧会が文協ビル・サロンで開催中だ。歴代の最高賞(大金賞)受賞者の当時の作品と最近の作品をそろえ、並べてみせる。また、同ビル内のブラジル日系美術館、貴賓室ではそれぞれ、「サロン文協」の前身にあたる「聖美会展」「サロン聖美」に参加した日系作家の作品を展示。一九三〇年代から現在まで、作家の顔ぶれの変遷と世代ごとの特徴を改めて検証できる機会となった。
来年文協は創立五十年を迎える。文協美術委員会の沖中ロベルト委員長は「ここで一区切り。来年以降は規模を大きくし、違う形でやりたいと考えているところ」と、休止の理由を説明する。三会場あわせて、六十一人による百三十点が鑑賞できるが、彫刻・オブジェは七人、インスタレーション(仮設展示)は一人のみ。残りは絵画を中心とする平面作品だ。「平面以外の造形が目立つ現代美術の動向を反映することも今後のサロンに必要。その場合、展示会場は、空間に制約の多い文協でいいのか。そういったことを含めてサロンの方向性を見直してみたい」と語る。
日系作家のパイオニア、いわば第一世代が画業の研鑚とその成果の展覧などを目的に寄り集い、「聖美会」を結成したのが一九三五年だった。戦中、日本がブラジルの敵国となったことから、日系作家の公的活動は一時中断されるが、戦後まもなく復活。五一年からは戦後移民らを含む第二世代の育成を目的にした、「サロン聖美」がスタートを切る。隔年開催の国際美術展サンパウロ・ビエンナーレ第一回展と機が一致しているのが興味深いところだ。続いて七〇年代に始まった「サロン文協」では日系二、三世の第三世代らの台頭が目立ち、非日系作家をも巻き込んだ現在の公募展へと発展していく。作家自身が展覧会を準備・企画し、審査員も兼ねるといったスタイルを約七十年にもわたり貫いてきたことが特徴で、こうした形でのサロンはブラジルでは他に類を見ない。
「レベルの高いサロンさえ確立できれば将来的に、文協以外の会場でも十分に機能していくだろう。『聖美会』から続く実績があるので、行政側の協力も期待できる。歴史的にみても日系作家の存在感は十分だから」と沖中委員長はいう。
ブラジル美術史における日系作家の評価は確かに、高い。ただ日系と一口に言っても、幅広い資質を持っている作家が居並ぶ。エコール・ド・パリ、印象派や表現派の欧州作家を手本にしたのが第一世代。創生期特有の情熱と心意気をほとばしらせた初期移民作家たちだ。戦後の抽象表現主義絵画を実験的・先駆的に試行した第二世代は、ビエンナーレなど多くの国際美術展に出品するなどブラジル画壇の表舞台で活躍した作家が少なくない。さらに、第三世代ともなると、手法や制作態度も多様化。日本的美学の遺産を受け継ぎつつ、世界の現代美術の潮流の中でしのぎをけずっている。
沖中委員長は「資金や人的やりくりが難しく、近年はサロン運営も楽でない状況だが、歴史の灯火は絶やしたくない。このところは非日系作家の受賞も多いが、もともと日系作家の登竜門になってきたサロンでもあるだけに、どうにかして盛り上げる方向でリニューアルを図りたい」と話している。
「33年展」は十四日まで。日系美術館、貴賓室は今月末日まで。午前十時~午後六時。祭日も入館可。