10月14日(木)
「最初から『俺は日本人』じゃだめ。まずは土人にならなきゃ。その上で日本人の知恵を発揮すればうまく行く」と力説するのは、ベレンから七十五キロ、サントアントーニオ・ド・パラー市の高倉農場のあるじ、高倉登さん(62、新潟県出身)だ。
アマゾンの郷土料理を堪能した一行は昼食後、農場見学に訪れた。
ここは、有機栽培のアサイを主産物に、熱帯フルーツのクプアスー、船舶などに使われるチーク材、ピメンタ(胡椒)などを混植するアグロフロレストリー(森林農業)を実践していることで有名なモデル農場だ。
「早朝、四~五百羽のパパガイオ(オウム)がやってくるんです。アマゾンの森って感じでしょ」と、高倉さんは自らの畑というか、森を語る。
自然のアサイ椰子は川岸の低湿地に繁殖しており、普通はそれを船で収穫しに行って、市場へ出荷している。つまり野生の湿地植物をテーラ・フィルメ(高地)に植えて、しかも混植するという独特の先進農業を実践している。
八十五町歩に三万株を植えてあり、年間二百五十トンを出荷する。「個人の栽培としては、ここだけだね。あとは自然のを集めて出荷する人ばかり」という。その他、クプアスーも今年は百トンの収穫を予想する。
アサイ椰子が整然と立ち並ぶ森は〃鬱蒼〃ではなく、涼しい日陰になっている。下草も生え、フカフカの腐葉土も堆積しているが、通路部分は足が埋まるような真っ白な砂地だ。
この辺の土地はもともと全てこの砂地。栄養ゼロのこの地に、灌漑設備で散水し、十一万羽の鶏から出る二千五百トンの糞にEM菌を入れて改良した。
「元はPHが4の土地だったけど、今は5・2に。ある程度、地力がつくまでに三年かかった。今ぐらいになると、自分が落とす葉っぱが有機肥料になる」。農業とは、土を作ることだと実感する話だ。
高倉さんには独特の哲学がある。「日本人は新しい作物を探して植える。でも、収穫できるようになって三年たったら値段が落ちる」。八〇年代には十五万本ものピメンタ園を、アマゾン川中流のサンタレーン近郊に所有していたが、病害などで失った辛い経験がある。
そんな折り、米国からピメンタの病原菌の調査にきた日系大学教授、上田さんの講演で、「その地域に自然に生えている果物や植物に目を向けなさい」と語ったのを聞き、ひらめくものを感じた。
「日本人は現地のものをバカにする。アサイはインディオが好きで、大昔からこの土地にあったもの」。パラー州民にはなくてはならない常食にも関わらず、今までアサイ栽培を試みた人はいたが成功しなかったそう。発想の転換が現在の好況を呼んだ。
「野生のは皮ばっかりだけど、ここのは肥料やってるから実の部分が厚い。だから業者がここまで取りにきますよ」。野生なら収穫まで五~六年かかるが、栽培なら三年だそう。高倉農園は州のモデルプロジェクトとして注目を集めている。
土人は良いが、カボクロはダメだと高倉さんは言う。「土人は〃土の人〃って書くでしょ。漢字がある。まずは土人の頭で発想をし、それを実現するために日本人の頭を使う。そうすれば、ここでもうまく行くんだと分かりました」。
高倉さんが現在の森林農業を始めたのは、約十年前からだ。それまでに積み重ねられた無数の試行錯誤が、現在の哲学を形づくっている。
「日本人だから大変なんだ。土人になったら、ものすごく楽に生きていけるよ。土人の中に入って土人に認められれば、できるんです。そして、アマゾンの自然の恵みに感謝しなけりゃね」。
つづく(深沢正雪記者)
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