10月15日(金)
高倉農場見学後、ベレン市内のエクアトリアル・ホテルに戻り夕食。午後八時半ごろから、すぐ近くの州立文化センター(CENTUR)で行われていた汎アマゾニア日伯協会(小野重善会長)主催の日本週間の最後を飾る盆踊りに行く。
昨年は二千人だったが、今年は延べ四万五千人が来場する大盛況となった。
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翌朝、九月十九日、ふるさと巡り四日目。午前九時過ぎバスはベレン空港に向け出発。十一時に百人乗りのTAM機に一行九十一人が搭乗し、再び貸し切り状態に。
午後一時に三つ目の目的地、パラー州第二の都市サンタレンに到着した。ベレンから直線距離で七百キロ(水路だと八百三十キロ)、ここからアマゾナス州都マナウスまでは直線で六百キロ(八百三十キロ)あるので、ちょうど中間地点だ。
ガイドの話では、日陰の最高気温が三十六度になることがあり、平均湿度が九〇%という高温多湿地域だ。サンタレン市の人口は十八万人で、周辺部を入れれば三十万人もいる。
一行が泊まるのは同地最大のホテル、アマゾン・パークだ。さっそく昼食を済まし、サンタレン―クイアバ街道(千七百七十七キロ)を三十キロ南下したアウテール・ド・ションを見学に。タパジョース川の〃カリブ〃と言われる、白砂の川岸だ。
アマゾンひょうたんのクイアを彩色したものや椰子の葉を編んで作った民芸品を売る店とレストランが十軒ほど立ち並ぶ広場があり、川岸から五十メートルほど先にある白砂の中洲へいくボートが出る。中洲のあちこちに〃海の家〃があり、水着姿の若者や家族連れの姿が。川とは思えない、海岸さながらの風景だ。
夜七時半過ぎ、ホテル野外会食場で行われたサンタレン日本人会(矢野直樹会長)との懇親会には、地元から十四人が参加。ホテルが用意した地元民族舞踊カリンボーのショーが十五分ほどあった。
二世の矢野会長はポ語で「サンタレンが経済活動拠点として繁栄し、日系人がさらに奮闘することでより豊かになる」と挨拶し、一行を歓迎した。竹下康義副団長の音頭で乾杯し、各テーブルで熱心に地元の話を聞く姿が見られた。
同日本人会役員によれば、近隣には約百家族の日系人が住んでおり、三十八家族が会費を払っている。一九八四年ごろ建てた立派な会館もある。七五年から八〇年代にかけては胡椒栽培が盛んで、「一世がいっぱいいた」という。運動会や野球も盛んだったが、胡椒に病害が広がり、他へ移る人やデカセギに向かう人で「今はチリジリ、バラバラ」だそう。
日本人会の前会長の中田正男さん(57、北海道出身)は、「この町は最近、大豆景気で潤ってきた」という。というのもマット・グロッソ州産を陸路で運び、ここから船で米州や欧州に輸出すると、距離的にだいぶ近くなるために運賃が安く抑えられるからだ。
近年、米国の大手穀物輸送会社CARJIが六万トンの船まで着岸できる港を作ったこともあり、北パラナなどから移り住んでくるブラジル人で、大きく大豆栽培を始める人が出てきているという。つづく(深沢正雪記者)
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