贈り物や寄付は相手が有効に使用できて、しかも喜ばれるものが一番いい。その意味で、援協に図書(本)を寄贈するのは、余りよくない。援協がその本をバザーなどで換金して運営費に充当するというのであれば、無駄にはならない。だが、本は読まれてこそもっとも役に立つ▼筆者は、援協の施設のお祭りなどで現場を訪ねると、本棚を覗く。寄贈されたのが並んでいる。入居者たちにはほとんど読まれていない。自立している人が多い施設ですら、こうである。読まれない理由について言うのはここでは控えよう▼さきごろ、援協、救済会、老ク連などが共催した老人週間で中古図書の即売会が、行われた。寄贈された本の一部を、開催費用の足しにするため、販売するのだときいた▼老ク連の場合、「当会では、よく読まれる。貸し出しがいつも利用されている」といい、寄贈があれば、活用できるので喜んで受けたい、といっていた。ただし―がある。肩のこらない小説本、雑誌だけにしてほしい、専門書に類するもの、記念誌的な出版物は「いただいても、しようがない」という。全くそのとおりだろう▼資料のような本・出版物は、研究目的とか、それを見て何かを書こうという目的を持った人たちにしか用がない。趣味娯楽として読書に親しもうとする向きには〃廃棄物〃に等しい▼援協の活動はすばらしいから、支援のため、なんでも援協に寄付しよう、というのは考え物だ。おかねとか食品がもっともふさわしい。(神)
04/10/15