10月16日(土)
アマゾン川中流の都市サンタレンの日本人会(矢野直樹会長)の前会長、中田正男さん(57、北海道出身)は一九五七年、九歳の時、父・正次さんら家族と共にパラグアイに移住した。その後、マット・グロッソ、ミナス、リオなどを経て、八三年五月にサンタレンへ来た。
ピメンタ(胡椒)を二百町歩に二十三万本も植えていたが、病害や労働問題に悩んでいた。「大変なんですよ、それ」と中田さんは胸中を語る。
そして米栽培に、さらに二年前から大豆を始めた。現在は大豆五百五十町歩、米四百十町歩という大規模農業を営む。大豆の収穫量は約二十六万袋(一万五千六百トン)にもなる。所有面積は全部で四千町歩あるそう。
ブルドーザー二台、トラクター四台、フォークリフトもこのために購入した。農業機械というよりは、ほとんど土木建設機械だ。「設備投資費用がバカにならない」とはもっともな話。しかもこの二年で揃えたというから、なおさらだ。
マット・グロッソ州などで収穫された大豆も、サンタレンから欧米へ出荷した方が低運賃で競争力があることから、ここを通過する輸出が増えている。その延長として、周辺で栽培する農家も増えてきた。その方がコスト面で、さらに競争力があるからだ。
「北パラナなどから大規模大豆栽培農家が移ってきていて、土地の値段が一気に上がりました」。市内から三十~五十キロ離れた場所で、六年前に一ヘクタール三十レアルだった農地が、昨年は四千レアルと百三十三倍に値上がりしたというから劇的だった。でも、今年は二千レアルに落ち着いたそう。
「エルニーニョ現象がなければ、年二回植えられるんですよ」。年間を通して気温が高いため生育が早い。米と大豆、トウモロコシと大豆などの組合せで栽培するのが一般的だ。
妻・千恵子さん(55、宮崎県出身)と娘で、クプアスー、マンガ、マラクジャ―、アセロラなど十二種類の熱帯フルーツの入った濃縮ジュースを凍らせて、サンタレン近隣に卸す会社を経営している。もう十五年も続いている。
五三年に近くのモンテ・アレグレ移住地に入植した千恵子さん。中田さんは、夫婦水入らずで来年日本へグルメツアーに行く予定だという。というのも渡伯以来、「一回も日本へ行ってないんですよ」。
中田さんは断言する。「もう一回生まれても、知恵子と結婚するよ」。赤道直下の過酷な気候の中で、幾つもの苦難を共に乗り越えた二人の愛情は、何物にも変えがたいようだ。
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懇親会には現地から十四人が出席した。ベレンやマナウスから来賓が来た時に案内してまわる同地の世話役・岩間健さんほか、岡田家、千葉家、西村家らだ。農業だけでなく、日本食レストラン、電気関係などいろいろな商売を市内で営んでいるという。ふるさと巡り一行は「ここでもまた日本人が活躍している」という頼もしさを感じた。
つづく(深沢正雪記者)
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