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2世成功者に聞く=先代継ぎ20年=日々挑戦=さくら・中矢アリメント社=中矢レナート氏=しょうゆと味噌の裏話も

10月23日(土)

 創業一九四四年、日本食品業界の老舗、さくら・中矢アリメントス社の中矢ケンジ・レナート社長が二十一日、ブラジル日本商工会議所(田中信会頭)で講演した。会議所では「二世成功者の話を聞く会」を定期的に開いており、中矢氏で四人目。
 先月還暦を迎えたという中矢氏は父の末吉氏から八四年、四十歳の若さで会社を引き継いだ。しかし当時はハイパーインフレや、対外債務モラトリアムなど金融危機の時代。加えて顧客の日系人が相次いで日本に出稼ぎにいったため売り上げは減少、先行きの暗い状況で舵取を任された。
 「あの時期は朝夕二回卸値を変えたり、いかに早く売り上げを回収するかに必死だった。本来やるべき品質管理や、顧客への気配りは軽視されていた」
 九四年に「レアル・プラン」が施行されると、インフレは終息。政府は貿易の自由化、税制改革や民営化と政策を打ち出し、経済は好転し始めた。九〇年代を振り返って、「先に日本食ブームにあった米国に進出していた日本の大手しょうゆメーカーが、ブラジルに進出した時には心配した」とし、「だが、そのしょうゆを味見して、胸をなでおろした。うちが五十年近くかけて造った甘みのある濃厚な醤油は日系好み。負けないと確信した」
 しばらくしてブラジルでも日本食がブームとなり、しょうゆも飛ぶように売れ出した。売り上げ高は飛躍的に伸びた。従来の設備では需要に追いつかず、四年前、日本製のオートメーション機械を導入した。
 「日本食ブームは社にとっては幸運だったが大手スーパーに商品を並べさせてもらうにはしょうゆや、みそ、日本酒だけではうまく商談がまとまらないと気付いた」という。現在では顧客の要望を取り入れ、「チリやニンニクのソース、梅酒、インスタントみそ汁、とんかつ・焼き鳥用ソース、アスパラガスやパルミットの缶詰など二百三十二品目の製品を生産販売している」
 パッケージの工夫にも余念がない。例えば、「ブラジル人には味噌の色が不評。そこで袋詰めからマーガリン容器と同じ白色容器に入れてたところ、スーパーから納品許可が下りたこともあった」と語る。
 最近は日本食品関係だけでなく、ワイン販売を始めた。南大河州の標高一千メートルの山間にあるブドウ園と契約。昨年、すでに赤ワインを二万本出荷した。「少し値段は高いですが、よいワインができました」。新たな挑戦はまだまだ続きそうだ。
 さくら・中矢アリメントスは、サンパウロ州に三工場、ゴイアス州に一工場、またサンパウロ市内に研究所を所有。従業員は二百五十人。