韓国の漬物「キムチ」が日本の家庭にまで普及し始めたのは戦後のことでありそれも七〇年代に入ってからではなかろうか。あの赤くて激辛の白菜は確かに美味なのだが、日本人の舌にはいささか辛すぎる。ここサンパウロに登場したのも韓国移民らが食堂を経営し始めた頃からであり、リベルダーデ界隈の店によく通い「カクテキ」なる珍味に巡り会い一献傾けるのが楽しみであった▼韓国の人々はあの辛い漬物がないと、力が湧かないらしい。あのヴェトナム戦争の頃、韓国の精鋭部隊が参戦し力戦したのだが、勇猛をもってなる韓国兵士も「キムチ」がないと十分な働きができなかったそうだ。そこで―ブラジルの韓国移民たちは大量に漬け込んでヴェトナムで奮闘する同胞の兵士に送るんだといった話もあったのだが、本当に送ったのかどうかはよく知らない▼だが―である。彼らにとっては、これほど大切な食べ物なのである。白菜が収穫される頃になると、韓国の女性らは「キムチ」の漬け込みに忙しい。母や祖母から伝わる専用の甕に唐辛子やアミの塩辛風などをいっぱい混ぜたものを白菜に積めて重しをする。辛いけれどもその奥にある甘みを含む「キムチ」の旨さにはこんなご婦人方の苦労が詰まっている。ところがである。そんな「キムチ」の本場・韓国に中国産が押し寄せてきて大変らしい▼白菜と人件費の安さが、中国の「キムチ」を押し上げているらしいのだ。日本の輸入も韓国からよりも中国からの方が多いし、本場の韓国も悲鳴を上げているそうだ。尤も―。「キムチ」の本家である韓国の人たちは「味」も「匂い」も「舌に乗せたときの感触」も、お袋や我が女房の敵ではない―と強きを崩してはいない。頑張れ韓国―である。 (遯)
04/10/23