「観光地として売り出したい」。ノロエステ線の平野植民地で、最近そんな持ち上がっている。現地文協のヤマシタ・ジューリオさんによると、五十年以上前に建築された寺院を、目玉に出来るという。
通訳五人男の一人平野運平によって、一九一五年に創設された同植民地。当初から、マラリアやバッタの大群で大きな被害を受けたことは、あまりにも有名な話だ。
カフェーから養鶏、そして砂糖きびの栽培と作物は移り変わってきた。十七家族が今も、居住。消えてしまったわけではない。「歴史を聞かせてほしいと、訪ねてくる人も多いんですよ」と、ヤマシタさん。
記念誌の編纂も、念頭にはあるようだ。最後に出したのが二十五周年。以来六十五年間、記録すべき話もずいぶんあることだろう。 (古)
04/10/28