10月30日(土)
アリアンサ移住地創設に深く関わったブラジル力行会。その会長、永田久さん(七五)は、教科書に載せることは「世界に散らばった日本人がたくさんいて、日本国内だけで生きていくだけでなく、もっと広い選択肢があるということを知ってもらうのは良いことですね。海外旅行だけで外国を知ったと思われちゃ困るわけでね」と賛成する。「ただし、あまり崇高な思いで来た人は、それほどいないでしょうな」と冷静な視線を送る。
四歳で家族と共に移住してきた大浦文雄さん(七九)は教科書に載せることに反対だ。「もし、移民史を載せるなら、現在のデカセギの話まで書かなきゃいけないだろう。それについては忸怩(じくじ)たる思いがある」という。サンパウロ市近郊のスザノ市にある福博村とよばれる日系集団地の草分けで、同地のオピニオン・リーダーの一人だ。
「一世は雑草のように土地にしがみついて生きてきた。二世はこの国の教育を身に付けてブラジル社会へ入った。デカセギの中心世代である三世は、本来なら二世以上にブラジル社会で活躍しているべき世代であって、より社会貢献ができるはず。それが日本に逆流していることは、移民という流れから言えば完全な挫折であり、今まで伸ばしてきたものの放棄だと思う。〃情けない〃という自虐的な気持ちが強い」と大浦さんは語った。
「移民史の解釈にはいろんな角度があるだろうが、私は教科書に載せるのには否定的な考えだ。ただ、載せるのであれば、日本文化の継承、新しいブラジル文化の創造に日本移民が寄与してきたこと、日系人が今もって参画していることを強調してほしい。今の日本では、ブラジルや日系人に関してネガティブな面が強調されがちだから、もっとポジティブな部分を扱って欲しい」
日毎叢書企画出版代表、野口浩さん(六六)は「小学校低学年の教科書から載ってしかるべきだと思う」という。「ただし、苦労話だけじゃしょうがないから、もっと国際的な視野に立った記述がされたらいいのでは」とし、世界的な移住労働者の一部としての移民史観を提唱する。「デカセギ現象を否定的に語る人もいるが、それを否定することは、デカセギのつもりで来ていた戦前移民を否定することにもなる。それのポジティブな面を捉え直し、それも含めて教科書に載せるべきだろう。その時代に突出して起きた社会現象は、そのまま載せるべきだ」。
野口さんは教科書に掲載することに大賛成だ。「今まで全く扱ってこなかったのだから、いきなり深く踏み入らなくても概略で良いと思う。日本の義務教育に組み込まれるだけでも大変な進歩だ。日本の人が持つ移民に対する暗いイメージ、特に石川達三の『蒼茫』がいけないよね。それを払拭するためにも教育することは意味があると思う」。
ニッケイ新聞社の元編集長、吉田尚則さん(六三)は「我々は棄民である、という類いの移民史における自虐史観はやめてもらいたい」と注文をつける。「確かに国策に乗っかってきたかもしれないが、我々、個々人の想いとしては海外雄飛を目指し、?儻不羈(てきとうふき=独立していて拘束されないこと)の気概で人生を切り開いてきた。棄民うんぬんという自虐史観からはプライドを持った移民にはなりえない」と考えている。「食えなくなってデカセギしたというより〃現代の移民〃という視線で捉えてほしい。二十世紀の移民は、よりよい生活手段を獲得するために国境を越えて移動した」とし、日本移民とその子孫である現在のデカセギ労働者を、社会学の「移住労働者」の定義にあてはめる。
つづく(深沢正雪記者)