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コラム 樹海

  「歌謡大会の話」をもう一つ▼サンパウロ市から北西の方向にのびていく鉄道の線をソロカバナ、パウリスタ、ノロエステ線と呼ぶ、というのは、新来移民のころ、すぐおぼえた。だから「三線七都市老人クラブ歌合戦」と聞いたとき、「三線」は考えるまでもなく、七都市とはどことどこだろう、と興味を持った▼すべてが、戦前、日本移民が多数入植し、苦労を重ねたところばかりだった。サンパウロに出ず、直径約四百キロの円内に含まれる、七都市を生活の場とした一世や準二世たちは、三十年ほど前から親睦団体として老人クラブを結成し、今日に至っている▼そして、今、今年で二十六年の歴史がある歌合戦は、各老人クラブの歴史でもある、といわれるほど、互いに「なくてはならないもの」になっている▼歌合戦の初期、七〇年代の終わりごろは、カラオケなど「利器」がなく、曲目は民謡が選ばれ、歌い手は伴奏なんかないほうがいい、と言い、いわゆるリズムもメロディも「オレ流」で歌う人が多かったという。カラオケが導入されてからは、年毎に歌唱力もつき、今や「玄人はだし」もいるという充実ぶり▼各クラブと歌合戦が不離一体というのは、熟年・高年層の日系人にとって、歌謡歌唱が生き甲斐の一つになっていることを示すものだ。三世、四世の世代が老人クラブの構成員になっても継続されていくだろうと、ほぼ確信されている。これは、巧まず日本歌謡文化の継承である。もはや、たかが歌謡、ではない。 (神)

04/11/17