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セルソ・フルタード氏死去=弱者を理解した開発主義の論客

11月23日(火)

 【エスタード・デ・サンパウロ紙二十一日】ブラジルの著名な経済学者の一人、セルソ・フルタード氏が二十日午前十一時十分ごろ、リオ市内の自宅で心臓発作のため死亡した。八十四歳だった。
 死亡の知らせが伝わると、近親者を始め多くの友人と政治家が弔意を表しに、自宅、夕方以降はブラジル文学アカデミー協会(ABS)を訪れた。埋葬は二十一日午前十一時、ボタフォゴ区のサン・ジョアン・バチスタ墓地で行われた。
 「フルタード氏は、ブラジルのみならず、ラテンアメリカそしてすべての発展途上国に希望を与えた、ブラジルの誇りである」と、ルーラ大統領は同氏の死を悼み、ブラジルが三日間の喪に服す宣言を行った。
 同氏は、パロッシ財務相の採用する正統的経済政策に反対の立場をとる、開発主義の論客として知られ、富の集中を伴う経済成長を厳しく批判した。パライーバ州の裕福な家庭出身の同氏は、ブラジルの発展が遅れている主因の一つである、北東部地方の農地の地主への集中を身近に見て育ち、常に弱者の立場に置かれた地方労働者が組織したという理由で、土地占拠運動(MST)の擁護者でもあった。
 一九四四年にブラジル遠征軍としてイタリア戦線に参加、四八年にソルボンヌ大学で博士号取得。五〇年代にクビチェック政権の下、北東部地方開発監督庁(Sudene)設立に尽力し、長官も務めた。軍政時代にパリで亡命生活を送り、国連で務めた後、サルネイ政権では文化相に就任。二〇〇三年にはブラジル人で初めてノーベル経済学賞にノミネートされた。主著に「ブラジル経済の形成」(1959)など。