11月24日(水)
十三日午前、農薬を撒く飛行機用の未舗装滑走路を横目に、一つ目の農場Fazenda Orienteへ入り、一行を乗せたバスは延々と続くバナナの〃森〃を行く。途中から電信柱のように、バナナを吊るして運ぶワイヤーロープが張られている。集荷場で下車し、山田さんを質問攻めにする。
総計八百五十ヘクタールのバナナ園。昨年の総売上げは三千七百万レアルで、今年は四千五百万レアルを見込むブラジル一の〃バナナ帝国〃、ここはそのほんの一部だ。
バナナは植えてから一年目、十一カ月で三十~六十キロの実がなる。実がなった木はそれでお終いだが、同じ株から次の芽が出て、次々と十八年間も実をつけ続けるという。良く見ると、四メートルおきぐらいに潅水ホースから細い散水パイプが出ており、霧状の水を撒(ま)いている。
労働者一人に五ヘクタールを受け持たせ、草取りや肥料、潅水ホースの手入れなどを担当させる。任された仕事さえこなせば、平日休んで日曜日仕事しても各自の自由だ。月給は一最低給ちょっと。面積に応じて給料を払うから、夫婦で七ヘクタールの人もある。
「バナナ園の中に入っちゃうと姿が見えなくなるから、何人かのグループでやらせると話ばっかりで仕事にならなかった」(山田さん)という経験から現在の制度に。
集荷場では運ばれてきた、まだ緑色のバナナを一ダース程度の大きさに切って水で洗い、箱詰めしている。品質に応じてブラジニッカ社か、カフェフォールの優良商品シールが張られて出荷される。
これがサンパウロ市やブラジリア、リオなどの市場にある卸売り店の冷蔵倉庫でエチレンガスを入れて十八度で一日おくと、甘味が出て黄色になり始める。そこで初めて小売りされ、商店に並ぶころにはいわゆる〃バナナ色〃となる。
一年中、実がなるので、専門の担当者が十五日おきに全て畑を見まわり、どの日にどれの木を収穫するか、集荷部隊に指示する。
「自然は毎日、雨が降るわけではない。地面を乾かしたり濡らしたり、できるだけ自然に近い状態を心がけると長持ちします」。だから、水は一週間に一回程度だ。海岸部で大きな被害を出しているシガトッカ・ネグラ病は、まだこちらには来ていないという。
海抜五百メートル。この辺は年間雨量が七百ミリ程度、湿度が三〇%以下にもなる乾燥地なので、潅水しないとバナナは芽も出さない。その代わり、山田さんがレジストロで苦労してきたような水害も無ければ、病害も少ない。しかし、潅水設備に巨額な設備投資が必要となる。
大変な設備投資と農業技術が必要だが、出荷量が多い十月は特に価格が安い。現在の卸売り価格は二十キロ箱当たり五レアルという。高い時ではその三倍、十五レアルという時代もあった。この規模でやっていても実は、今の値段では利益が出ないという。
山田さんは「価格が安いからバナナ園経営では損害が出ている。でも、その分、直売卸売り店では利益が出ている。その両輪があるから、厳しい時期にも持ちこたえられる」と語った。
今でこそ、ジャナウーバ市はじめ北ミナス一帯は〃バナナの都〃として有名だが、実は、山田さん以前は誰もこの周辺でバナナを生産していなかった。例えば、山田さんが移転した八四年、ジャナウーバ市の人口は四万人だったが、現在は七万。つまり、山田さんの成功を見て、様々な農家や企業が二匹目のドジョウを求めてやってきた。そのおかげで雇用は拡大し、近隣の町は大きく発展、財政は潤った。しかし、生産者が増えため、値段は低迷することとなった。
かくも農業は、一筋縄ではいかない。 つづく
(深沢正雪記者)