11月26日(金)
十四日午前十時半、塾生四十人はカジャマンガの果樹園の中で車座になった。
「山田さんの四十年の集大成がこのカジャマンガに込められている。目を閉じて、その英気を全身で受け止め、自分の会社へ持ち帰りましょう」と板垣勝秀代表世話人は視察最終日、この場所を選んだ理由をそう語り、三分間の沈黙を呼びかけた。
――風が渡る。木々のざわめき、果樹の葉が触れ合う。突然、遠くから牛の鳴き声や子どもの笑い声が聞こえるようになった。
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このFazenda Yamamig2は山田さんの個人的な農業試験場のような存在だ。十カ所ある農場の中では一番小さな四十ヘクタールだが、そこにはカジャマンガ、ざくろ、五種類のパパイア、柑橘類、レイチ、カランボーラ、アテモイアなど、バナナ帝国の〃後継ぎ〃が控えている。価格の低迷するバナナに代わる作物を試行錯誤する重要な場所だ。
山田さんの長男、ジュンさんは「謙虚さ、研究心、根気強さなど、父からは今も多くのものを学んでいる」と語り、父を見本に日々仕事をしていると語った。
山田さんは言う。「非常時にこそ、本当の心のエネルギーが出てくる。販売部で真剣に支配人と話し合う時、平時には出てこない潜在意識に蓄えてあったものが現れ、その熱気が言霊となって伝わると感じる。このような場では、それがでてこないのが残念」。
カジャマンガに大きな期待をしている。山田さんは「あと三~四年すると、全部の木が収穫に入る。それが自分の会社の将来を大きく変える可能性を秘めている」という。すでに二百ヘクタール(二万本)植えられており、一キロが一レアルで売れれば、一本当たり五百レアル、二万本で五百万レアルとなる。
「一番大事なのは、いつも積極的な経営ができるよな精神状態に自分を高めておくこと。心を高めると、閃きが生まれ、それがアイデアとなって経営に生きる。それを何年もの間持ちつづけることが難しい」
最優秀賞をもらった全国大会だったが、「本当は日本に行きたくなかった」と述懐する。「何回もりっちゃんから電話が来て、日本の人のためになることだからと言われた。そんなことが自分にできるのだったら行ってもいいかな、と思い直した。その結果、素晴らしいことが起きた」。
三十四年ぶりの日本――。受賞に続いて、稲盛塾長から特別に晩餐に呼ばれ、日本に住む兄や姉からは優しくされた。「日本では感動続きでした。何か大きく自分が変わった感じがします。これからの十五年、二十年は最後の勝負。今までの経験を出し切って限界に挑戦したい」。
「ブラジルの日本人の魂を、日本のみなさんに見せてください」と塾長から直々に頼まれた、と明かした。「この地域に合った作物を見つけています。それがこの地域を変えることになるでしょう。塾長の言われる『動機善なりや、私心なかりしか』のつもりでやっています」。
塾生たちは一時間近く、魅了されたように熱心に聞き入った。
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午後一時前、山田さん自宅に母親、モモエさん(94、北海道)を訪問。「こんな遠い所まで本当に有難うございます」と挨拶した。来年一月に九十五歳になるとは思えない元気な様子に一同驚く。
長年、農業を営んできたコチア青年相談役、永山八郎さんは、「山田さんは農業のプロ中のプロだと思った。大きくやっている人は粗放になるのが普通。大きくなって、あれだけ立派なバナナを作り続けているのは実に素晴らしい。初なりのバナナを仏壇に供えるという、お母さんあっての山田さんだなと思った」としみじみ感想を述べた。
つづく (深沢正雪記者)
■盛和塾ブラジル=カジャマンガの樹の下で=バナナ王 山田農場を視察(1)=情熱とひらめきで頂点に
■盛和塾ブラジル=カジャマンガの樹の下で=バナナ王 山田農場を視察(2)=転機をつかむ感性が大事