12月3日(金)
「おお、お前、元気だったか!」が合い言葉となった一つの会合が、去る十一月二十七日、ブラジリア連邦区のバルジェン・ボニータ(VARGEM BONITA)日本文化協会会館で行われた。サンパウロからの十六名と、連邦区の三十余名のコチア青年たちが感動の再会を果たした。
コチア青年は一九五五年九月十五日、サントスに到着した第一次一回生百九名を嚆矢として、総数二千五百八名がブラジルに移住、農業開発に貢献した実績を誇る。そして、二〇〇五年九月に移住五十周年を迎える。これを契機に、全国に散らばっている仲間たちがお互いの健康を確認して記念行事を盛り上げよう、とコチア青年連絡協議会が〃仲間巡訪〃を企画し、ブラジリアを最初の訪問地に選んだ。
連邦区には現役三十三名と未亡人四名、合計三十七名のコチア青年関係者が居住している。約半世紀ぶりの再会とあって、ほとんどが会合に参集した。
宮原靖さん(新潟県)が「私たちは連邦区で近郊農業に携わってきました。その一方で、子弟たちの教育にも力を注いできました。遠路サンパウロからの同志の来訪は本当に嬉しい」と迎える側を代表して歓迎の挨拶を行った。この挨拶が示すように、コチア青年が首都圏(連邦区)でも大きな貢献をし、その貢献が今でも続いていることは誇るべき事実だ。
首都移転を意図したクビチェック大統領が「土地は悪いが、日本人なら開発できる」と、日本人の新首都圏移転をコチア産業組合に要望した、という話を聞いたことがある、と佐藤仁さん(静岡県)と園田正徳さん(鹿児島県)が会場で述べていた。バルジェン・ボニータ一帯は、今でも首都圏の主要な野菜供給基地となっているようだ。
会場でコチア青年連絡協議会の高橋一水会長(高知県)が五十周年記念行事の趣旨説明を行い、連邦区の仲間の参加を呼びかけた。すでに植林が始まっていること(本紙・十一月二十六日報道)も記事を示しながら紹介した。副会長の杓田美代子さん(三重県)も、記念式典に女性たちの積極参加を勧誘した。こうして、会場は夜遅くまで盛り上がった。
踏んばった未亡人の敦枝さん
翌二十八日、一行は坂井三男さん(新潟県)の案内で、ブラジリア近郊のPlanaltina市Nucleo Rural Rio Pretoで百六十ヘクタールにコーヒー、大豆、トウモロコシの栽培と、酪農に取り組んでいる山根敦枝さん(島根県)の農場を視察した。
敦枝さんは八七年に夫(山根勇・島根県、第一次七回)に先立たれた。当時、十五歳の長男を頭に娘三人を抱えながら苦難に耐えて奮闘し、生活基盤を築いてきた〃肝っ玉母さん〃だ。今は農場を長男に任せている。気候よし、空気よし、環境よし、で、生活も安定し、間もなく孫が生まれるのを楽しみにしているようだ。
今回はサンパウロから高橋凡児夫妻(岩手県)も参加したが、夫人の久子さんと敦枝さんは花嫁移民の同船者(六五年三月・さくら丸)で、約四十年ぶりの再会を果たし、お互いに手を取り合いながら感涙にむせんでいた。再会あり、有益な視察ありで〃仲間巡訪〃は幸先の良い第一歩となった。
「これで、次、その次の巡訪の可能性が拡がったヨ」と初めての企画の実施を担当した坂東博之さん(徳島県)は胸を撫でおろしながら、帰路のバスの中で一行と談笑していた。