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県人会トップはどう見る?=100周年記念事業 日伯総合センター=「これで総意とは言えない」=関心高いがまだ様子見か=資金調達への不安感漂う

12月3日(金)

 まだまだ足りない説明責任――。先日賛成多数で可決された祭典協会の臨時総会だが、従来から言われているように「主要団体内の根回し不足」「コロニア全体への説得の言葉が足りない」という声が次々に上がっている。数多くの一世を抱える県人会からも「このやり方ではコロニアの総意とは言えない」「もう少し説明しないと」「絵に描いた餅のようだ」などの声が噴出する。日本との繋がりを考える時に欠かせない県人会のトップは、この臨時総会をどう見たのか。

 十一月二十三日に文協小講堂で行われた臨時総会には集まったのは、傍聴人を入れて五十人程度と、コロニアの総意には程遠い数だった。その中には、同祭典協会副理事長でもある県連の中沢宏一会長を始め、会場には複数の県人会長らも出席していた。
 ヴィラ・レオポルジーナ区に建設するという日伯総合センターの立地や設計計画については説明が行われたが、肝心の資金調達案については触れられず、「消化不良」のまま執行部案が可決されたことは記憶に新しい。
■県連参加見合わせ検討か
 中沢会長は同月二十六日に開かれた代表者会議で、改めて祭典協会の姿勢に疑問を投げかけた。
 <出席した人数もわずかで、商工会議所からも出席はない。これではコロニアの総意で決議とは言えない>
 二十八対三の賛成多数に対し、中沢会長は自らの見解を示した文書を配布し、改めて各会長らに協会のあり方を再考するよう求めた。
 日伯修好百周年記念祭基金を文協と日文連、県連、援協、商工会議所の五団体で管理していることを根拠に上げ、この五団体が最低でも中心になるべき、と中沢会長。「これまでコロニアと縁がなかった人が祭典協会の中枢に入り、今までの方法論を無視している」と現体制を厳しく批判する。
 現状のままでは臨時総会で決議された同総合センターに、県連としての参加を見合わせることも検討する可能性もあるという。
■資金捻出方法が不明
 「計画には問題がない。ただ、もう少し資金繰りの裏付けを説明すべきだった」。文協副会長としてではなく、あくまでも福岡県人会のトップとしての意見と強調する松尾治会長は、臨時総会に欠けていたのは「説明責任」だと指摘する。
 会館老朽化の問題を抱える福岡県人会だけに、会員のセンターに対する関心は高い。
 「立地などについては十分説明された。ただ、肝心な建設費用捻出の方法が出なかった。昔のように自腹を切ってでもという一世が中心でないだけに、そこが一番不安だ」と松尾会長。日系社会の財力が落ちているだけに、明確な資金繰りの道筋を明らかにしないと、コロニア全体の協力は得られないのでは、という危惧だ。
■「現体制に偏りがある」
 一方、祭典協会の体制や姿勢そのものに疑問を投げかけるのは、宮崎県人会の吉加江ネルソン会長だ。
 「一番の問題は文協が急激に二世の体制に変ったこと。もっと優秀な一世に残ってもらうべきだった」と二世の立場から見ても、現在の体制に偏りがあると分析する。
 また、日本と祭典協会との間で行われているはずの交渉過程が明らかにならないことへの不信感も隠さない。
 祭典協会が表面的には日本からの援助を必要としないと表明していることにも「百年祭は日伯両国で力を合わせて実現してこそ初めて意味がある。祭典協会は間違っている」と話す。
 広島県人会の大西博巳会長は元々、同祭典協会が募集した記念事業案に採点・順位付けをしたプロジェクト委員会の一人として、同センターの選考に関わった一人だ。しかし、「肝心なことを詰めず、説明もしないまま続けるかどうかを迫るのはおかしい」と臨時総会の手続きに疑問を投げる。さらに続けて、今の協会について「みんなの意見を聞こうとせず、渡部さんの考えに上原会長も追随するだけ」と指摘。
■「あんな遠いところに」
 同センターについても「ブラジル人から見れば日系は金を持っていると思っているが、現状は違う」と松尾会長同様、財力的に弱体化しつつあることを認めた上で、「同センターに寄付を期待するのも難しいし、あんな遠いところに出来ても高い駐車場を払って毎日通う人はいない」。
 大西会長は言う。「移民百周年につくるのなら、やはりリベルダーデあたりにつくるべき。日系人が集わないものに何の意味があるのか」。
■甘い汁は吸いたいが…
 ただ、大多数の県人会長は「百周年に関心はあるが積極的に意見を申す場ではない」とばかりに、様子うかがいの態度でいることは明らかだ。
 先日、中沢会長が代表者会議で活発な意見交換を求めて問題提示したときにも発言する会長は皆無。ある県人会長は「自分の会館がない県人会も多いから、本当にセンターに場所を確保できるならば万万歳のはず。ただし、それは自分たちが汗を流さないならばというのが本音では」と代弁する。
 積極的に建設に参加するつもりはないし、資金協力も出来ないが、「甘い汁」は吸いたいというのが多くの県人会に見え隠れする。
 百周年を通して日系団体の団結を強める――、のが本来の方向性であったはずなのに、このままでは逆に、分裂・弱体化しかねないとの憶測も生まれそうな事態だ。
 承認された計画では、一フロア全体を県人会のスペースとして図面にあったが、この調子では、どの程度県人会が集まるか、はなはだ心もとない状況のようだ。中沢会長が言うように「再考する」という選択肢はないのだろうか。