12月9日(木)
日本の未来担う青少年に小野田さんが自著通じて呼掛け――。終戦を知らされないままフィリピンのルパング島で戦後約三十年間軍務を遂行し続け、帰国後ブラジルへと移住、南マット・グロッソ州で牧場開拓に励む傍ら、自ら設立した「小野田自然塾」を通じて日本の青少年の育成に尽力する小野田寛郎さん(82)が、このほど日本帰国後三十年を機に自らの思いや経験をまとめた自著『君たち、どうする?』(新潮社)を刊行した。三日にニッケイ新聞社を妻の町枝さんとともに訪れた小野田さんは、「社会で通用する人間を育てるのは親の責任。今の日本に欠けているものを記しました」と語る。日本でも青少年育成や講演などに飛び回る毎日だが、移民百周年では自らの知名度を生かして、何らかの形で貢献したい、との意気込みも見せた。
小野田さんは一九二二年和歌山県亀川村(現海南市)生まれ。四四年からルパング島の密林で任務を遂行し始め、七四年三月に作戦任務解除命令を受け、三十年ぶりに日本に帰還。その翌年にはブラジル移住を決意。同州ヴァルゼア・アレグレ移住地で千百二十八ヘクタールの牧場を開き、牛の飼育に当たってきた。
ブラジルで牛の飼育に明け暮れていた小野田さんが財団法人「小野田自然塾」を設立したのは、邦字紙で知った祖国でのある事件がきっかけだった。
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物質的にこそ恵まれるものの、日本の青少年の未来に危機を覚えた小野田さんは同塾を通じて、若者らの「心の教育」に取り組み始めた。
「戦後教育で義務と責任を教えることなく、権利と個人主義だけがはびこった結果が今の社会。塾を通じて、自然や人とのつながりの大切さを知ってもらいたい」と小野田さん。
また、三十年間のジャングル生活を身をもって体験しただけに「人間は一人では生きていけない。それが分からないから『何故、人を殺してはダメなのか』などといった質問をする若者ができる」と力を込める。
九一年に福島県に設置した同塾の専用キャンプ場では、夏休みを利用して千人を超える児童や青年らが集まるという。
十月には帰国後三十年を祝うパーティーが開催され、合わせて自著が刊行された。小野田さんはタイトルの「君たち、どうする?」に込められた思いをこう語る。「自分を発見すればそれが『夢』につながり、さらに『希望』や『目標』につながる。この本がその一端になれば」
現在は生活の拠点を日本に置くが、毎年一月には牧場を訪れ管理や牛の売買などに追われる小野田さん。抜群の知名度を生かし、四年後の移民百周年でも何らかの貢献がしたいとの意向を示す。「やはり日本からブラジルを訪れる人がまだまだ少ない。もっとこの潜在能力を秘めた国を知ってもらえれば」と目を輝かせた。