移民一世が、子女の教育、特に高学歴にすることに尽力してきたので、今、子女たちの相当数が、経済的に恵まれた生活をしている。社会で有産層を形成しているともいえる▼衣食たりて礼節、ではないが、人によっては、訪日経費の支出などまったく問題でなく、日本にいる従兄弟、従姉妹たちと、会ってみたい、交流したい、と考えるようだ▼そこで、耳にした話。父親が死亡したとき、日本語の書籍を処分した。ついでに、父親が日本の親戚と交信していたときの手紙類も燃やしてしまった。一般的にいって、資料的に価値があるものなら、以前は移民史料館が受けた。書籍などは、もらう人もあって、少しは有効に片付く。手紙などの文書は、〃邪魔なゴミ〃でしかないのである。そんなわけで、手紙を出したい、訪問したい親戚、従兄弟の住所、名前がわからない▼面白いものだ。日本側にとっても、出稼ぎの親戚だとおおむね親しく迎えない、恥ずかしいと思う、と言うことを、出稼ぎブーム初期に聞いた。だが、ブラジルの従兄弟、従姉妹が、知的仕事についていて、不自由なく暮らしているとなると、言葉のカベなど越えて迎えたくなるものらしい▼まあ、親の手紙が処分されても、親の本籍地なり出生地がわかれば、市役所、町村役場を通じて、住所を探す手立てはまだ残されているが▼昨今、自分史の執筆のすすめがいわれている。子孫のために、ぜひ、ページを割いて、できるだけ親戚のデータは記録しておきたいものだ。 (神)
04/12/10