12月15日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙五日】ペルナンブーコ州レシフェ市がオランダ軍によって侵略された十七世紀、ブラジルで最初に献堂されたシナゴーグ(集会場)がサンパウロ市のラビ、ウエイトマン師によって発見された。
同師はブラジルの建国時代にユダヤ人が活躍した足跡を追った。ユダヤの格言では「住人のいない住宅は存在しない。ラビのいないシナゴーグは存在しない」という。同師はアムステルダムとエルサレムで古文書を漁り、レシフェのユダヤ人通り一九七番地を訪ね、記録をつぶさに照合した。
調査の結果、意外な事実が判明した。オランダ統治時代のブラジル在住ユダヤ人は、予想をはるかに上回る五千家族もいた。ユダヤ人街は現在のボン・ジェズス通りやユダヤ広場、ユダヤ海岸と広範囲にわたった。ユダヤ人協会は二つあり、スペイン本国の宗教裁判からオランダ経由で逃れた同胞を救済していた。
一六二四年、バイア州がオランダ軍に侵略されると、多数のマラノ(カトリックへ改宗したユダヤ人背教者)が、内通の罪でブラジルから追放された。オランダ統治時代に多数のユダヤ人が渡伯したが、それは四人の司祭を中心とするマラノ達だった。着伯後はカトリック教会で、堂々とユダヤ教の礼拝を行っていた。
ブラジルに移住したユダヤ人の草分けは、ポーランド出身のガスパル・レモス。ガスパル・ダ・ガマまたはアウメイダの名で知られている。ペドロ・A・カブラルと一緒に来伯して、居残った。
後続部隊として到着したユダヤ系ポルトガル人が、フェルナンド・デ・ノローニャ、フェルナンジアス・パエス、ジオーゴ・アウバレスなどブラジル建国の面々たち。
ユダヤ系ポルトガル人は、次の姓を継いだ。メンデス、レモス、アゼヴェード、ナヴァーロ、カスターニョ、マットス、カルドーゾ、フォンセッカ、レオン、シウバ、コスタ、ファリア、ペレイラ、プレット、ガマ、ヴェイガ、ロッペス、メスキッタ、ピニェイロス、ヌーネス、コレーア、セーラ、コエーリョ、モレーノなど。
これらの家系には、ユダヤの血が流れている。父祖はポルトガル大航海時代を築き、世界覇権を打ち立てた。宗教裁判で追われた彼らは当地に逃れ、ブラジルの礎を築いた。ブラジルはマラノの国だ。数々の迫害と屈辱を耐えたマラノの心意気を学ばずに、ブラジルは理解できないといっても過言ではない。
一五五二年に来伯したユダヤ人、ジオーゴ・フェルナンデスは、ペルナンブーコに砂糖工場第一号を建てた。染料や砂糖、コーヒーなどの産業を育てた先駆者はユダヤ人だった。当時のシナゴーグは、ユダヤ哲学に立脚する経営学や金融学など経済理論も教えた。