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サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(4)=83歳男性の「恋は盲目」=夜間、塀乗り越えサンパウロ市に走る

12月18日(土)

 一九七〇年代半ばのある日の朝。サントス厚生ホームは大騒ぎになった。
 「芦沢敬三さん(仮名、当時83歳)がいない」──。言葉も地理も分からない老人が、忽然と姿を消してしまったのだ。
 周辺地域を捜索。さらに心当たりにも電話をかけたが、埒はあかなかった。最後の切り札として、事は警察当局に持ち込まれようとしていた。その矢先に電話が鳴った。
 「敬三さんは、ここにいます」。
 サンパウロ市に住む松本ツタ(仮名、当時76歳)からだった。山下忠男ホーム長(当時)は「やっぱり、そこだったか」と事務所で腰を下ろした。
 「夜中に塀を乗り越えて施設を抜け出し、想いを寄せる女性に会いにいったな」
 無断外出に対する怒りは何故か起きず、老人の行為を微笑ましくさえ思った。「愛は国境を越えるではないが…」。
 芦沢は三重県出身。一九三〇年に家族で移住した。農業に精を出すものの、なかなかうだつが上がらず妻と離婚。長男は心を患って、精神病院に入ってしまったという。
 そのうち本人も老化で体が弱り、日系のある老人ホームで暮し始めた。そこで出会ったのが、ツタだった。ツタも芦沢と交際するのは、満更ではなかったようだ。
 二人があまりにもいちゃつくため、ほかの入所者に悪影響を及ぼすと運営側が判断。芦沢を厚生ホームに引き取ってもらうことにした。
 ツタの方といえば、サンパウロ市内に住む日本人駐在員のアパートで賄い婦の仕事を得たため、施設を出て住み込みで働いた。年はずいぶん離れていたものの、駐在員は独身男性だったので芦沢が嫉妬。足しげくサンパウロまで通った。
 「外出が多過ぎます」。山下は、ツタに会いに行くのは月に二~三回程度に留めるように注意した。
 芦沢は我慢出来ず、騒動の日の前夜こっそりとホームを抜け出したのだった。一メートル半ほどの塀を飛び越えた芦沢は、徒歩で長距離バスの発着所を目指した。「恋は盲目」とは、このことだ。
 当時はまだサントス~サンパウロを結ぶ夜行バスが運行していなかったので、一夜を停留所で過ごし、午前五時の始発に乗り込んだ。
 サンパウロに着くと、アパート近くのペンソンで旅装を解き、その足でツタのもとに向かった。ツタは連絡を受けていたので、サントスに一報。事無きを得た。
 ツタは芦沢の執拗な求愛に対して、だんだん嫌気がさしてきていた。かねてから日本に帰りたいと思い悩んでいたところ、駐在員が同情。航空券を購入した上、羽田空港まで付き添ってくれることになり、芦沢の手の届かないところに去ってしまった。
 失恋した芦沢は一気に老け込んだ。話相手さえ見つからず、孤独な余生を送ったそうである。(敬称略、つづく)

■サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〝実状(1)=毎日が戦場のよう 単調でないお年寄りの暮し

■サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(2)=功労者,重枝正美さん 初期の経営に尽力

■サントス厚生ホーム=〝ドラマ的〟実状(3)=施設内に日語教室開設 慕われた木村捨三先生