12月25日(土)
九十四歳で亡くなる直前まで社説やコラムを書きつづけ、戦中戦後の勝ち負け抗争はじめコロニアの表裏に精通していたといわれる邦字紙記者、内山勝男さん(新潟、享年94歳)が残した書籍を収めるために、松柏・大志万学院の新校舎内に同氏を記念した図書館が来年作られることが、このほど決まった。仲介したのは、大正小学校で名ピッチャーとしてならし、日伯新聞時代の内山記者から取材を受けたのが縁で一九三六年から付き合いを続けてきた渋谷信行さん(ベロ・オリゾンテ在住、80)。川村真倫子さん(76、二世)が同小学校の後輩だったことから、とんとん拍子に話が進み、来年三月はじめ頃に図書館が作られることになった。
七二年に渡る邦字紙記者人生のはじめの頃、一九三八年の日本病院落成式を取材するなど「コロニアの生き字引」「移民史の生き証人」として有名だった内山氏が死去したのは今年九月八日だった。
二十年ほど住むサンパウロ市ブリガデイロ街の自宅アパートの二部屋は、今も書籍や資料で埋まっている。しずえ未亡人(80)は、「毎晩十二時、一時まで原稿を書いていました」と懐かしそうに居間にある資料に埋まった大テーブルを指差した。書籍だけでざっと六百冊以上あり、切抜きなどの資料は、分野別に几帳面に封筒に分類され百近いと思われる封筒に収めら得ている。
人の背丈ほどにも積み上げられた封筒の山の中には、「勝ち負け」「蒼茫」というタイトルのついた厚いものもあり、見るからに興味深そうだ。書籍にも貴重なコロニア出版物が多々含まれており、七十余年の記者生活を彷彿とさせる。
同行したサンパウロ人文科学研究所の宮尾進顧問は、「とくに戦前の資料が豊富。大変貴重なもの」と評価した。書籍類は、大志万学院の図書館へ、切抜きなどの膨大な資料は人文研へ寄付され、整理分類された後、一般公開される手はずになっている。
内山さんの生前から、残された資料や本のことは渋谷さんに委託されていた。最初、渋谷さんは、内山さんの出身地である新潟県人会に呼びかけたが「場所が無い」と断られ、大正小学校の後輩である川村校長に頼んだところ快諾を受け、記念図書館とすることになった。
記念図書館には、渋谷さんの蔵書から約七百冊も寄贈される予定。「日本人としての教養を高める意向のもとに収集した」書籍類で、コロニア出版物だけでなく、一冊一万円以上する『ビジュアルワイド世界全史』『同日本全史』『日本歴史人物事典』から、戦前最後の駐伯大使だった『石射猪太郎日記』、各種名作文学、動植物に関する図鑑類などいろいろだ。
来年三月はじめのオープンを目指している松柏学園の川村真倫子校長は、「まずはあちこちの図書館巡りをして下準備をしたいと思います」と嬉しそうに語った。
渋谷さんは「内山さんは移民の〃伊藤痴友〃です」と、政界の裏面を余すところなくを書いた著作『明治裏面史』で有名な伊藤の名をあげた。
渋谷さんによれば、「内山さんには『コロニア太平記』という原稿があり、日本で出版しようと出版社に持ち込んだが『日本の読者には向いてない』との理由で断られ、代わりにホテルで缶詰めになって書いたのが『伯剌西爾ラプソディー』(PMC出版、一九九三年)だと聞いてます」と興味深い話を披露する。
それが本当だとすれば、戦中戦後のコロニア裏面史がすでに書かれていることになる。病床の最後の言葉は、「移民百周年を書かなければ」だったという。
内山氏は一九一〇年に新潟県に生まれ、東京外語大スペイン語を卒業後、三〇年に移住。サンパウロ州の文化植民地に入植後、三二年から邦字紙「サンパウロ州新報」や「日伯新聞」に務めた。戦後、サンパウロ新聞の創刊に加わり、以後、編集長、編集主幹として社説やコラムを書きつづけ、今年九月八日に死去。五四年以来、中日新聞や東京新聞の通信員だった。勲五等瑞宝章。