12月28日(火)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二十六日】ブラジル地理統計院(IBGE)は二十四日、国内経済の成長に伴って一九九二年から二〇〇三年までの十年間に、最低賃金の二五%以下の極貧層は一九・三%から一四・五%へと、二五%も減少したことを発表した。しかし、都市圏で見ると変化はほとんどない。大サンパウロ市圏だけが、同期間に極貧層が住民の八・五%から九・九%へと一六%も増加した。数に直せば百七十万人となる。
経済が低迷した九〇年代は、都市圏の危機であったようだ。大都市における所得の分配指数は、全国平均を大きく下回った。所得格差の是正は、都市圏に届かなかった。全国レベルで見ると所得の分配は円滑に進まなかったが、社会福祉だけは大きな進歩があった。
一世帯当たりの所得が最低賃金の二五%以下の極貧層は大サンパウロ市圏で増えた。リオ市は横ばい。全国都市部では一%減り、人口の一一%と横ばい状態だ。
一世帯当たりの所得が最賃の五〇%以下の低所得者は全国レベルで六千万人と、四〇・八%から三四・一%へと三四%の減少。大サンパウロ市圏では住民の二四%と横ばいで、人数にして四百二十万人。リオ市は二四・七%から二三・六%へと四・六%減少した。
格差指数(最悪を一、最良を〇)を見ると、全国レベルで九二年から〇三年まで、〇・五八と横ばい。都市部を見ると〇・五六から〇・五九へ悪化した。リオ市は〇・五五から〇・五七へ、サンパウロ市は〇・五三から〇・五七へ悪化。
低所得層の犯罪が語られるのは、ブラジルの発展から置き去りにされ、日の当たらなかった都市部の貧困地域だけのようだ。都市部でサバイバルに賭ける低所得層にとって、生活水準の向上は最大の挑戦といえる。苦学して高学歴を獲得しても、希望の職場で長期勤続するのは難しい。
都市部は全般に八〇年代にモラトリアムが発生するまで、国内産業の保護政策と公社の設立、インフレに伴う税収増により都市計画が順調に進んだ。しかし、八〇年代に経済政策が行き詰まり、九〇年代は経済政策の試行錯誤となった。このしわ寄せは、地方部より都市部に大きかった。
当時の経済指標を評価すると、都市部は旧経済政策から新経済政策への切り替えが混乱を生み、社会不安や治安悪化などを引き起こした。大都市ほど時代の変化への対応が拙劣だった。
サンパウロ市とリオ市は脱工業化が進み、それに変わる産業の育成に立ち遅れた。脱工業化が進んだ世界の都市にバルセロナやデトロイト、ピッツバーグ、ハンブルグ、ミラノがある。これらの都市は、市民の生活の糧となる観光やレジャー、ファイナンス、医療、学術などサービス業に活路を求めた。
大企業が去り、小零細工場が残った大サンパウロ市圏ABC地区は、近隣七市が企業救済に乗り出した。市が四九%を出資、零細企業や労働組合、大学、その他の団体連合で五一%のコンソーシアム設立を提案した。これまで安泰であった市の財政立て直しのため、新しい町起こしがABC地区の急務となっている。