1月1日(土)
〇四年十月の地方統一選にPSDB党から立候補した安部順二モジ・ダス・クルーゼス市長は、第一次選で有権票の五六%、十万二千四百四十一票を獲得して、再選された。これは〇一年から市長として、四年間政権を担当し、モジ市の発展に大いに貢献したものが、過半数の有権者から評価されたものである。二期目を担当する安部さんは「一期目に完成できなかった道路改修工事、公共エリアの再利用、保健衛生施設建設や第二婦人健康センター建設を優先し」また「〇六年末までには、モジ市に誘致した五十以上の製造工場などが操業開始するので、更に大きな雇用創生で、失業率を下げることができる。また貧困家庭の幼児を預かる各地域の託児所設置も急がなければならない」と抱負を語った。
企業誘致し雇用拡大
安部さんがモジ市長として手腕を振るった〇一年から〇四年までの主な業績は、商工業の企業誘致による雇用創生で、労働省の全就労・失業者台帳(CAGED)によると、市の人口比で最も雇用創生したブラジル三都市の一つに記録されたほど雇用を拡大した功績は大きい。
教育関係では、三十の新設学校や増築により、新たに二万一千人の生徒が、学習できるようになった。また〇二年までは、三十二の幼稚園しかなかったが、今では六十四カ所と倍増した。〇〇年の職業訓練センターには、二コースに二百九十四人しか学んでいなかったが、現在は二十五コースに年間一万人が学んでいる。
健康・保健面では、妊婦のために女性メジカル・センターを建設。二十四時間対応の保健所も三カ所に設置した。また州政府の協力で、市内にあるルイーザ・デ・ピーニョ病院の増設も完了した。
文化・教養関係では、地域住民のために三十ヵ所の小規模図書館と演劇、音楽、ダンスや手工芸コースを備えた教室も併設した。
保健・衛生関係では、就任当初、一%もなかった家庭用下水設備を四年間で、四五%まで引き上げた。また放置されていた五十ヵ所の市有地を、スポーツ場や遊園地へと整備した。そして川の洪水防止のためにピシナンを造った。また百キロメートルを超える街路を舗装した。
今まで海岸地方へ行くために、市の中心街を通らなければならなかったが、モジ・ドゥトラ街道とモジ・ベルチオーガ街道とを結ぶ迂回道路建設で、交通渋滞が大幅に緩和され、更に州道のモジ・ドゥトラ街道の複線化により、モジ周辺の発展は云うに及ばず、交通事故も大幅に減少した。
治安関係では、軍警察から指摘された犯罪多発地点へのビデオ・カメラ設置や治安の悪い近郊貧困地区への照明灯の増設で、犯罪発生を大いに低下させた。また人権尊重の啓蒙運動を延べ九万人以上の市民に行なっており、これも犯罪低減に大いに役立っている。
「インフラ整備に功績」
過半数を制して再選された安部市長に対する市民の声を拾ってみた。
バンデイラ地区に住むジョゼ・アルトゥール・フラウトーリ(61、左官業)さんは「モジとセザール・デ・ソウザをつなぐ新しい橋の建設、公園整備、それに貧困地区では保育園建設や学校給食の充実に力を入れてくれ、再選されて当然でよくやった。二期目も更に市民のために汗をかいてほしい」と述べた。
ドッセリアを営むアナ・ダヴィ(55)さんは「町の中では巡回警察官が多くなった。また市役所のフィスカルも腰が低くなった。今までの市長の中でも、頻繁に貧困地帯に足を運んで、市民の生活を観察しており、最高の部類に入る。欲をいえばこの大通りの水はけを良くしてほしい」と語った。
またアイスクリーム店の店員のシルジー・サーフィーリ(23)さんは「町もずいぶんきれいになったし、保育園や婦人健康センター建設など女性市民には大変よくなった。しかし就任当初は〃ムルタのモジ、モジのムルタ〃と云われるほど交通違反に厳しくて評判が悪かった。しかしベルチオーガ海岸地方へ行く迂回道路ができて解消した。一期目の政治は及第点ですが、今後の四年間は、とにかく若い世代を中心に雇用を増やしてほしい」と期待を込めて述べた。
年金生活者のパウロ・アキノ(66)さんは「道路の舗装、新しい橋、病院や公園整備など精力的にインフラを整備したことは評価できる。しかし二期目は目に見えない雇用の拡大、治安の回復、年金生活者への無料薬の配布などもしてほしい」と述べた。
「日本文化の継承必要」
問―〇八年の日本移民百周年祭にたいして、モジ市ではどのような行事をしますか
「日本移民やその子孫の軌跡を残すためには大切な事業です。もちろん市を上げて全面協力するが、日系団体の中心である文協が主体となってやっていく」。
問―日本文化の継承も含めて日系社会の将来は
「受け継いだ伝統ある日本文化の継承や日本語を次世代に残していくのが、我々日系人の義務です。幸いモジ市にはたくさんの日系人がおり、市役所、文協や農村協会が一体となってがんばっています。その他に秋祭り、柿祭りやふるさと祭りなどのイべントでも日本文化や伝統芸能などを紹介して、若い世代に引き継いでいる」。
問―安部さんの夢は
「私は長いこと政治に携っているが、根っからの百姓です。無一文でブラジルにやって来たお爺さんや親父から百姓仕事を学び、農業で生計を立てており、夢が実現した。また将来の夢は、モジ市長として市民生活の大幅な向上と飛躍的な町の発展に尽くせれば最高です」。
問―一日十五時間も仕事をする仕事依存症(ワーカーホリック)で、休日もほとんど取らない安部さんに暇ができた時は、何をしていますか
「たまの休日は孫と遊んだり、大好きなランの手入れ、ひいきにしているサンパウロチームやブラジル代表の試合をテレビで見ている」。
安部市長の略歴
安部順二モジ市長は一九四〇年十二月十五日に、モジ市ビリチバ・ウス地区で、野菜や果樹を栽培している農家に日系三世として生まれた。地元の商業高校を卒業後、ブラス・クーバス大学法学部を卒業。教師であるエウザさんとの間に一男二女と二人の孫がいる。安部市長の祖父である安部トクジさんは、一九一〇年にブラジルに移住し、二十八年にモジ市に入植し、二・五ヘクタールの土地で野菜作りを始めた。その七年後には、ビリチバ・ウス地区に百二十一ヘクタールのシッチオを購入した。安部さんは小さい時から農業を手伝っており、時間があれば、趣味のランの手入れをしている。