1月4日(火)
「去年より注文が多いね」と嬉しい悲鳴をあげるのは、恒例の年末の餅つきをする新潟県人会の南雲良治会長だ。〇三年は約四百キロ、〇四年は五百キロを超えた。
十二月三十日午前十時、婦人部や青年部ら約二十五人が流れ作業で要領よく作っていた。六台の業務用コンロでもち米を蒸し、最初だけ機械で捏ねた餅を、〇四年初めに新調したばかりの臼と杵で、丁寧に撞いていく。すぐ横には婦人らが控えており、火傷するくらい熱い餅を手際よくクルクルと丸める。
全体をコーディネートしているのは二十五歳から菓子職人としてならした、同会相談役の池泉三郎さん(80)だ。週初めから県人会に泊り込んで連日朝六時から作業をしてきた。「アンコだけで七十キロ作ったよ」という池泉さん。水を混ぜずにアズキを火にかけるから水分が跳ねたりせず安全で、味のほうも、まったりして口当たりが繊細、との定評がある。
南雲会長は、「彼はアンコ作りの名人だよ。本当の職人だ」と持ち上げ、「あの歳で、朝から晩まで餅をついているのだから」と驚嘆する。アン餅に使う餅だけで二百パック分、百五十キロほどにもなる。
十二月二十七日からつき始め、二十九日は四十八臼、三十日はそれ以上。全部で百臼を超える。今年も二十八日に、サントス厚生ホームへ十八キロ分の正月用餅を届けた。
台風、地震と引き続く天災に泣いた母県だったが、県人会の年末はその分をとり戻すかのように、なごやかで実り多かったようだ。