1月15日(土)
去る十二日、サンパウロ市から約五十キロのサンロッケ市、国士舘スポーツセンターの森で、二回目の「コチア青年の森」植林が行われ、還暦や古希を迎えた〃永久青年〃五十人が、夫人や孫たちと一緒に、数時間かけて千本を越える苗木を植えた。〇四年十一月二十三日の第一回目の植林の時に植えた、記念樹のメタセコイア(和名・アケボノスギ)を含めて、二百五十本(本紙・〇四年十一月二十六日報道)は一〇〇%根づいており、今回で目標の二千五百八本(コチア青年移住者の数)のほぼ半数の植林を終えた。
一回目に用意された苗木は二十六種、今回は二十四種で、コチア青年移住五十周年に合わせて五十種類の樹木が揃った。「ほとんどがマッタ・アトランチカ(大西洋森林帯)に自生している樹種のため、植えられた苗木が全部育つことは間違いない」と苗木を手配したサンパウロ州森林院の山添源二技師は断言している。
植物学で高名な橋本悟郎氏(92)が現場に駆けつけて、植林のようすを見守りながら、参加者を激励した。ブラジル日本文化協会で国士舘スポーツセンター管理委員長をしている小川彰夫理事も植林に立ち会った。
集合時間の午前九時にはまだ小雨が降り続いていたが、高橋一水コチア青年連絡協議会会長の植林開始合図を待っていたかのように雨が止み、時には日差しが注ぐほどで、自然にも恵まれた植林となった。〃永久青年〃たちの活力はすごく、全身汗だくになりながらも、数時間をかけて、用意された千本以上の苗木を全部植えきった。
参加者にとっては感動を越えた感動と共に、九カ月後に迫った、自分たちの五十周年記念行事を成功させたいという情熱が、今の青年にも負けないほどの行動を実らせた、といえよう。
「コチア青年の森」企画を当初から助言してきているという山添技師は「皆さんの熱心さには脱帽。植林は成功です。後は、アリの被害を防ぐだけ。植えられた苗木は、当初は生育に差がでるが、十年もすると揃う。この植林は英語でENRICHMENT(強化する。豊かにする)という手法で、ブラジルでは前例が殆どないため、私自身も楽しみにして、ずっと見届けたい。そして、この手法を国内で広く普及していきたい」と期待を強調している。
続けて「この森は種子の宝庫かも知れない。きょうは、森林院から種子集めの専門家三人に来ていただいた。皆さんは、有望だ、との評価で一致した。新たに植えた五十種を含めて、将来は種子の宝庫になる可能性を秘めた(コチア青年の)森なのです」と説明。コチア青年関係者でさえ予想もしなかった意義と可能性を秘めた五十周年記念の企画となった。
白旗信・凉子夫妻(長野県)は、幸子さん(13)、しずえさん(9)、やえみさんちゃん(5)、正勝くん(13)、高志くん(9)の五人の孫を連れてきた。五人とも「とても疲れたし、のどが渇いたけど、楽しかった」と初めての体験を喜んでいたし、その喜びを見ながら「植林の現場を見せておきたかったので、連れてきた甲夷があった」とおじいちゃんとおばあちゃんは胸をなでおろしていた。
「今朝は雨模様で心配したが、私たちの行動は天も見ているようで、無事に終わって安心した」とは造成委員長の黒木慧さん(宮崎県)の総括の弁だ。この気持ちは植林に参加した〃永久青年〃たちの共通の感慨でもあろう。
コチア青年の歴史をブラジルの大地に形として残すために、この森の中に「記念碑」を建立しよう、とコチア青年連絡協議会の高橋一水会長(高知県)は同士たちの気持ちを結集しているようだ。