1月19日(水)
【カルタ・カピタル誌】ブラジルの政治的駆け引きや根回しは建国時代に始まり、年期と磨きがかかっていると国対委員長のアウド・レベロ下議(ブラジル共産党=PCdoB)が述べた。ブラジルはこれまで、共和制という名の寡占政治国家であった。ルーラ政権は全員が意見を発表できる史上初めての政権だとして、同下議はブラジル政治史を次のように語った。
ブラジル史で見る最初の政治駆け引きは十七世紀、北東部地方に侵入したオランダ軍追放のために原住民代表のフェリッペ・カマルゴと黒人代表のエンリッケ・ジアス、ポルトガル人地主代表のジョアン・F・ヴィエイラとの間で行われた協定。協定の本音は、ポルトガルの縄張りを犯すオランダ人から奴隷と砂糖取引での利権を確保することだった。
オランダ人の西インド会社は資金力にものをいわせ、世界各地に触手を伸ばしていた。ポルトガル本国は宗教裁判により、多くのユダヤ人資本家を追放した。ユダヤ人の資産は没収したが、運用に疎いポルトガル王室は経済的に衰退の一途にあった。オランダ人が当時ブラジルを征服していたら、ブラジルはさらに発展したという説もある。
次の政治駆け引きは、ブラジルの独立や奴隷解放、共和制宣言、三〇年革命、八〇年の軍政から文民政治への移行開始などがある。駆け引きで時代の変化は起きたが、内容は杜撰なものだった。例えば奴隷解放だ。ブラジル共和国の指導者は奴隷を鎖から解放したが、社会参加は認めなかった。
社会参加のチャンスがない下層階級は、常にブラジルの民主化に影を落とした。社会疎外者と社会運動家は利害共通の立場にあるが、民主化のために団結することはなかった。それが一九三〇年に共通の敵を見いだしたことで目覚めた。
「進軍は別々でも、突撃は共に」の合言葉のもとにイデオロギーや社会的立場の違いを乗り越えて、同一目的に合流しようと、ルーラ大統領は呼びかけた。
労働者党(PT)政権は所得格差だけでなく、法の前に全国民は平等であるという法律適用の格差、貧しい者が馬鹿を見る社会格差などの是正がポイントだ。ブラジルでは裁判や公務員採用、特権付与、義務の免除は、国民全員に平等に行われていない。
ブラジル人個人の成長と発展は、チラデンデスの趣意書やジョゼ・ボニファッシオの独立宣言以来叫ばれてきた。ルーラ政権は曲がりなりにも、社会保障制度改革や税制改革、司法制度改革などを敢行した。
不評だった税制改革は徴収システムを簡素化し、地方自治体の赤字垂れ流しに終止符を打った。公共債務は政府一括管理により、国際信用と外国の投資につながると政府は期待している。社会保障院の累積債務にも一応歯止めはかかった。持続可能な社会保障制度を模索しながら、タガを徐々に絞めて行くとみられる。
特権階級は法の裁きを免れ、下層階級だけが裁かれた司法制度にもメスを入れ、公平性を実現することが求められる。他に電力料金基準法や会社更生法、インフラ整備のための官民合資法、バイオ安全法などが可決されたため、大口投資が注入され、ブラジル経済の好循環が始まっている。