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犠牲者に思い馳せ=阪神大震災10年=サンパウロ市で追悼ミサ「悲劇忘れない」=被災した日系人ら70人が参加

1月19日(水)

 阪神・淡路大震災の犠牲者に思いを馳せようと、ブラジル兵庫県人会が主催した追悼ミサが十七日午後六時半、サンパウロ市内のサンフランシスコ教会で行われ、兵庫県出身の移住者や出稼ぎ中に被災した日系人ら約七十人が参加した。

 一九九五年の震災直後に開いた犠牲者の追悼ミサ以来十年ぶりに開かれるもので、「県人はもちろんのこと、神戸からブラジルに渡った移住者も多い。思い入れのある地の悲劇を忘れてはいけない」と尾西貞夫県人会長(61)らが企画した。会員数は約六百人。
 当初から被災直後の神戸市内の写真と、復興した現在の様子を写真パネルで会場となる教会内に展示することを企画していたが、兵庫県を通じて、被災地の定点撮影を続けてきた大仁節子さん(81)から約二十枚の写真を借り受け、教会入り口に張り出した。
 冒頭、約三十分間に渡って神父によるミサが行われ、震災発生時刻となる午前五時四十六分(ブラジル時間午後六時四十六分)に、全員で黙祷を捧げた。松葉杖を付きながら、深々と頭を下げた後、黙祷終了後には両手を合わせた筒井律子さん(80)は、出稼ぎをしていた芦屋市前田町で被災した一人。倒壊した住居の下敷きになりながらも、四時間後に近くを通りかかった人に助けを求め、結局十三時間後に助け出されたという。
 同市内の病院に搬送された筒井さんは頭に三十二針の傷を負った上、背骨や左足、右手首を折る地獄を見た。その後、同市と大阪府内で二年間に渡ってリハビリをした後、九六年九月にブラジルに帰国。当初は「車椅子での生活を余儀なくされる」と医師から告げられていたが、毎日懸命に歩いたり、リハビリに取り組んだりして、今では松葉杖で歩けるまでに回復した。「失われた尊い命にお祈りするとともに、私のような境遇の人にぜひ頑張って欲しいと願いました」と筒井さんは、感慨深げに語った。
 「ブラジルからも兵庫県人会などが中心となり八千三百万円の義捐金が送られた。ご冥福を心からお祈りしたい」という尾西会長や石田仁宏サンパウロ総領事の挨拶の後、筒井さんと同様に出稼ぎ中に被災した日系三世の前田シジネイ晃男さん(29)が会場に姿を見せ、自身の体験をもとに被災を振り返った。
 当時尼崎市に住んでいた前田さんは芦屋市内の友人宅で被災。押しつぶされた住宅に背中などを圧迫され、半身不随に。サンパウロ市内でコンピュータープログラマーとして勤務する毎日に車椅子は欠かせない。「辛い思いもしたが、日本に嫌な思い出は全然ない。どんな状況でもうつむかず、前を向いて進むという気持ちをいつでも胸の中に持っています」と車椅子の上からキッパリ。「毎日、生きていることに感謝しています」と語ると来場者から大きな拍手が沸き起こった。