1月21日(金)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十六日】十二月三十一日、一人の男が津波で大被害に遭ったスリランカのコロンボ空港に降り立った。荷物は身の回りの物と強力な電動ノコギリ三台。男の名はシーラス・シルベイラ、五九歳、マット・グロッソ・ド・スル州生れ、現住所はリオ・グランデ・ド・スル州。世界で発生した大地震などの被災地に必ず現われ、電動ノコギリで瓦礫の山や鉄骨などを切り崩して救助隊に道を開ける作業を繰り返してきた。ブラジルの各国大使館員は彼のことを「ブラジルのドンキホーテ」と呼ぶ。本人はこうした全て自費によるボランティア活動を仕事の「請負人」とし、「ブラジル人としての誇り」を自負している。
シーラスさんはナタルが過ぎた後、テレビでアジアの大津波の被害を知り、誰にも何も告げずにブラジリアに飛び、アジア地区への入国ビザを取得した。早速スリランカの現場に向かったが、救助活動や遺体収容作業は一般落し、再建作業に入っていたため、インドのシェナイに向かった。同地でブラジル人数人が行方不明になっていると聞いたからだ。
ようやく同地にたどり着き、大使館員の案内で現場に着いたシーラスさんは、早速サッカーのブラジル代表のユニフォームを着込み、「ブラジル救助隊」のプレートを胸に下げて作業に没頭した。時間の許す限り作業を続けるという。今回の活動で約二万レアルの出費となる。
シーラスさんはポルトガル語しか話せないが、持ち前の陽気さで何とかなるという。最初は怒鳴られたり赤っ恥をかくことが多いが、次第に回りがシーラスさんのペースにはまるという。タクシーの運転手は言葉が通じなくても終日つき合ってくれる〃友達〃になっている。常に「アマニャン、トゥモロー」で通したので、「明日の男」と呼ばれた。
そもそもシーラスさんがボランティアに取りつかれたのは、一九八五年のメキシコ大地震だった。ニュースで惨事を知り、自分が経営する工場の製品の電動ノコギリを救援物資として送ろうと思い立った。しかし役所仕事の煩雑さで数日掛かると知らされ、自身でノコギリを手に十回払いの航空券でメキシコに飛んだ。ノコギリを手渡すのみのつもりが、気がついたら救助隊に混じってノコギリを振り回していたという。
作業を終えて帰国する際、メキシコ軍の総司会官から「ブラジルの政府とブラジル国民に、メキシコ人全てが感謝していると伝えてくれ」と言われ、感激したのが忘れられないと述懐している。メキシコ政府はシーラスさんに経費を支払うといったが、シーラスさんは「そっちが災害でスッテンテンになっているのに貰えるか?」と一笑する。その直後、国会でエドアルド・スプリシ上議により、逸話が披露され、賞讃の言葉を受けた。賞められたのは後にも先にもこれ一回のみだったという。
その後アルジェリア、イラン、エクアドル、コロンビアの地震にかけつけた。アルジェリアではブラジル大使が国防大臣に紹介したところ、歓喜のあまり「ブラジル!」を連呼しその数は十回に及んだという。ブラジル政府からは見舞いの電報が一本きただけだった。
シーラスさんはラテンアメリカ諸国各国から十人を募りボランティア活動グループを結成したが、時間が経つにつれ霧散した。今では一人でいつでもどこにでも行けるよう、電動ノコギリの手入れに余念がない。しかしその必要がないことを常に祈っている。