2月10日(木)
ブラジル日系老人クラブ連合会で活躍しているJICAシニア・ボランティアの安達正子さんが、活動の一環として、会員たちに自分史作成を呼び掛け、十冊以上が出来上がった。完成した自分史一冊一冊に、著者が人生の中で得た教訓や信念ともいうべき言葉が込められている。自分史を書いた方々のうち、四人に書き終えた後の感想などをインタビューした。
「私、ブラジルへ来て飯炊きババアに成り下がっちゃった」。山田操さん(78)は、そう言って周りの人を笑わせる。現在、姪の娘二人と三人で生活しており、いつもごはんを作るのは山田さんの役目。買物から後片付けまで全て一人。料理は好きだというが、「ごはんの支度ばかりさせられて、死んだほうがマシ」と考えたこともある。
『懐かしき日々の思い出』とタイトルをつけた自分史も、『飯炊きババアの思い出』と変えるつもりでいる。
宝塚歌劇をこよなく愛し、「もう年を取ったのに気が若いんです」と恥ずかしげに笑う山田さんだが、戦争で味わった悲しさ、悔しさは頭から離れない。
一九四五年三月の東京大空襲。父、母、姉と結婚して近所に住んでいたもう一人の姉一家四人の、七人を一夜のうちに失った。
「戦争のおかげで全部人生が狂っちゃった。二十歳の青春時代が全部ダメになって、バタバタしているうちにいつの間にか七十八歳になっちゃった」。話す言葉には多少のユーモアも感じられるが、自分史に記した一言は、そんな印象とは裏腹に力強い。
「戦争は絶対に嫌だ、してはいけないことだと強く思っています」。
一緒に戦争から生き延びた姉夫婦も亡くなり、山田家は今や、山田さん一人だけとなった。自分のことを本にして置いておけば、現在一緒に生活している姪の娘二人が読んで、「こういうオバさんがいて、いつもご飯を作っていてくれたなぁ」と、自分のことを思い出してくれるかもしれないと考えて、自分史を書き始めた。 つづく (大国美加記者)