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今も残る宗教裁判の影響=負の遺産が生活習慣に=八方美人で生き残り図る

2月16日(水)

 【ヴェージャ誌】イベリア半島で十六世紀から約三百年間行われた宗教裁判の名残が、現在もスペインとポルトガルの生活習慣の中に定着し、ブラジルにも及んでいるとハーバード大学のステフェン・カニツ教授が新説を唱えた。
 学者らは頭から否定するが、宗教裁判の難を恐れた先祖たちの慣習が無意識のうちに子孫へ伝わったのだと同教授は推論する。政治家には無意識の内に「その議案について賛成でも反対でもない。まして反旗を翻す気など毛頭ない」と旗色を鮮明にせず、勝ち馬に乗ろうとするのが多い。
 庶民の間には「何かお気に召さなかったら、お許し下さい」という卑屈な挨拶がある。宗教裁判では身に覚えのない罪科でも火刑に処されるので、こんな答が定着したようだ。こんな会話はスペインやポルトガル民族だけで、アングロサクソンや二民族以外のラテン系民族にはない。
 ブラジルの学会発表は、他人の流用か影響を受けたものばかりで独創的な自説はない。宗教裁判では独自説が命取りになるので、第三者に責任転化をして言い逃れをした。こんな生活習慣が今も随所にある。
 ブラジルで最難問とされるのは、同志という人間の真意を推察すること。これは宗教裁判の時代では、生き残りの鍵だった。国会では一人の議員が同時に、右派で左派で中道であり得る。八方美人が処世術だ。反対意見を表明するのは、背後に大物がいるか密告があることを意味する。
 カルドーゾ前大統領の著書に、世紀の名演説をぶっても演説途中で眼鏡が落ちたら、眼鏡が落ちたことが大ニュースになり、名演説は屁にもかけないとある。小さな失敗を大事件として取り上げるのは、宗教裁判の時代も現代も同じ。ポルトガル人にとって金曜日に風呂に入るか否かは生死に関わる大事であった。
 ポルトガル人は宗教裁判の時代、他人の箸の上げ下ろしまで監視した。いまでは笑い話のはずだが、その性癖は今日でも現存し、笑えない。例えば、ポルトガルの一ホテルで守衛に日没時間を尋ねると、パニックに陥る。守衛は答えを考え出すのに、世界を一周する位の時間がかかる。
 ようやく守衛は、正解を見いだしてニッコリ答える。「ポルトガルには、日没はありません。暗くなれば、すぐに街灯が点ります」ブラジルの国会審議がのろいのは、原住民や黒人、ヨーロッパ移民の責任ではない。宗教裁判による三百年の伝統が、後生大事に守られているからだ。

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