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デカセギの夫〝消えて〟9年=立ち直る非日系人妻(上)=突然の別れ話「私は帰国しない」=子供かかえ呆然=行商や物乞いも

2月16日(水)

 「臥薪嘗胆」。そんな言葉が似合うかもしれない。デカセギにいった夫がほかの女性と一緒になり、音信を切って九年になる。養育費の請求もままならない中で、ブラジルに残された妻子の生活は逼迫。唇を噛み締めて、物乞いをしたこともある。化粧品の行商や薬局の店員をしながら、新たな人生を模索しているファッチマ・アパレーシダさん(38)。デカセギに捨てられた家族の思いなどを取材した。
 「大丈夫?」、「うん」。臨月間近のファッチマ・アパレシーダさんを気遣う電話を最後に、夫ウイルソン・サコダさん(38)は消息を絶った。三度目のデカセギに行って、間もなくの一九九六年七月二十二日のことだ。
 その直後に日本から届いた手紙には、「私はもう、ブラジルに帰らない。あなたは、自分の人生を歩んでいってほしい」と綴られていた。
 突然の別れ話に、ただただ呆然するばかり。二人目の子、タイスさん(9)を授かり、幸せに満ちたりるはずだった日々は、一気に暗転してしまった。
 生活費を稼ぐために、化粧品の行商を始めた。「ゴミ箱を漁って空き缶も集めた」。幼い子供二人を抱えて食べていくには、恥も外聞もなかったのだ。道端に立って、小銭をせびったことも。六年ほど前に、日本人が経営する薬局に就職。生活が上向いてきた。
 「これまで一度足りとも、彼は日本から養育費を送ってきたことはありません」。妻子を捨てたことに対して、ファッチマさんの肩が怒りで震える。タイスさんは、父親に会ったことさえない。
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 サコダさんは工場の作業員だった。初めてデカセギにいったのは、九〇年代の初め。ブラジルで仕事が見つからなかったためだ。七カ月後に帰国した時、テレビやヴィデオなどを売り払い、どうも様子が変だったという。
 「こちらで仕事を探すような素振りを全く見せず、麻薬中毒にでもなっているような印象を受けた」
 サコダさんは一年後にファッチマさんと長男ウエズレイ(16)さんを連れて、再び日本に戻ることを決めた。搭乗手続き直前になって、こう言い出した。「ビザが出たのは、俺だけだ。お前らは飛行機に乗れない」。
 愛人がいる──。女の勘がピーンと走った。海外旅行の経験が無かったので、その場は引き下がった。疑念は深まるばかりだ。「実は初回のデカセギの時、日本での生活ぶりを写真に撮って送ってきた。ベッドのシーツやスリッパがピンク色だった」。
 三年後に一旦帰国、身重の妻を置いてデカセギを繰り返したサコダさん。音信を切った後、父親宛に一通の手紙を書いている。ほかの女性と写った写真が同封されており、ファッチマさんは全てを悟った。
 「あの人が言ったことは、みんなうそでした」
 つづく
    (古杉征己記者)